公孫晃 公孫淵の兄不慮の死を遂げる

どうも、諸葛菜です。

公孫淵軍団をとっと終わらせたいので、

 

今日は公孫晃の登場だ!

公孫晃(生年不詳-238年) 参考記事:公孫淵 参考記事:卑衍、楊祚 参考記事:賈範、倫直 参考記事:王建、柳甫、衛演

叔父の公孫恭が公孫淵にその地位を追われため、公孫晃は襄平のトップにはなれず。公孫恭の計らいで、魏の許昌に留学していたんですね。さすが、兄貴。すでに弟公孫淵の性格に目をつけ、危険人物として公孫淵を討伐するよう魏の上層部に進言。

が、結局、進言は聞き入れられません。公孫淵の反乱が失敗すると、曹叡の魔の手が公孫晃に・・・。公孫晃は助命を嘆願しますが聞き入れられず処刑。 終了。

公孫晃が襄平に残っていたところで、おそらく公孫淵に殺されていたでしょうね。公孫恭の位を奪ったとき、もし、襄平にいたら真っ先に殺されていたでしょう。仮に、その時処分されなかったとしても、燕王自称時に、公孫晃が反対→処刑かもな・・・。

「もし」の選択にすら、「生存」の二文字を見いだせない。。。

・・・ウィキのまんまの記事ですみません・・・。

中国語のサイトで公孫晃の姓名占いをしたところ、 公孫晃という姓名の人は、他人の視線や評価ばかりが気になり、感情を表に出すのが下手。まずは相手の出方を見て、なるべく相手に合わせるタイプ。伴侶に対しても常に疑いをいだくタイプ。 ゲゲエー・・・。 全国の公孫晃さん、怒ってください。