羊コ 仁徳の人ついに散る!曹操、諸葛亮と並び称された漢!

どうもっ! 諸葛菜ですっ!

羊コさんをまだ書き終えていませんでした。

 

[caption id="attachment_2100" align="aligncenter" width="360"] wiki羊祜より[/caption]

 

前回は確か、羊コの病が篤く、司馬炎がお見舞いに来たところでしたね。晋にとっては呉は仇敵であるし、倒さなければならない相手ですが、羊コの闘い振りを見ていると、

孫皓?こんな暴君許せねえっ!仁徳で以てこの国を自然崩壊に導いてやる!」

という強い意志を、私は感じます。

 

病床の中、後事を託す

さて、羊コ。呉討伐のイズムを張華に託し、さらに自分の後任者として杜預を挙げました。

杜預 三国時代末期の晋の英雄 破竹の勢いの故事成語

278年11月、羊コはその職を杜預と交代した後、世を去りました。司馬炎は羊コ死去の知らせを聞くと号泣し、髭すらも涙でしとどに濡れ、その日はとても寒かったのでつららになってしまったと言われています。荊州の人々は羊コが死んだ知らせを受け、号泣。町では人々の鳴き声がこだましたという。敵国の呉の将士たちですら、人徳にあふれた羊コの死を聞き、涙しました。司馬炎は羊コに侍中、太傅を追贈し、諡として「成」を与え、また、後世の人々は羊コのことを羊太傅と呼びました。

2年後、呉を平定すると、司馬炎は、

「これはすべて、羊太傅の功である」

と慨嘆したそうです。

羊コの軍事的な見識の高さは当然評価していましたが、品性がよく、人々から慕われていたことを評価しています。羊コは若いころ出仕したがらなかったので、太原の人郭奕は「羊コは孔子の弟子の顔回だ」と言っていました。羊コの姉は司馬師に嫁いだけれども、決して外戚である身分をたてにして権勢を振るうことはありませんでした。分を守り、謙虚に勤めを果たしていくことを旨としていましたし、たとえ呉と戦うとしても、礼と信義を以てあたり、捕虜を解放し、降将に対しては礼を以て接し、国のため節のために死んだ者に対しては、褒め称えた…。

 

圧倒的人望!

荒廃した乱世にあって、羊コのような存在は・・・オアシスです^^

しかし、羊コのような結党を好まず、私利私欲の無い性格は、時の官僚たちの気風とは相容れない部分があった・・・。権勢を誇っていた荀ベン、馮タンたちからのプレッシャーはもちろん、その他の大きな門閥たちとの風当たりも強かったそうです。

特に、当時はこのような言葉が流行ったそうな。

「二王當朝,羊公無德」

二王(王戎、王衍)が朝廷で権勢を誇っていて、羊コの有徳を褒める人がいなかった。

という意味です。

※この辺は、時代的に詳しくないですが、中文があったので簡単に訳しました。

なぜなら、羊コは以前、王戎、王衍を怒らせるような事をしてしまい、王戎、王衍は事ある事に羊コの悪口を朝廷で言いふらしていたそうです。そのような背景があったため、羊コの呉討伐が遅れたのではないか…との見方もあります。

羊コは軍事意外にも詩文や道家にも詳しかったそうですね。彼は官においては清廉であり、死後も荊州の人民たちが堕涙碑を建立するほど慕われていました。この碑を見て羊コを思い出さない人はなく、涙する人は大勢いたそうです。

後世でも羊コの軍事、屯田は高く評価されていました。宋の高宗は曹操諸葛亮と羊コを同列に評価。

それと、これは言い伝えですが、「あなたの知らない(羊コの)世界w」という話があるそうです。

 

ほっこり?エピソード

 

1.前世は李さん?

羊コが5歳の頃、乳母に羊コの金の輪を返してくれとねだった。

乳母は、「金の輪っかなんて持っていないでしょ?」

と言うと、羊コは隣の李家に駆け込んで桑の木の中から金の輪っかを見つけ出した。李家の人は

「これは私の子供が無くした物のなのよ!どうして貴方が持っているのっ!?」

と大変驚いたそうです。

李氏の子供は羊コの前世だったのではないか?

と、人々は奇妙に思ったそうです。

 

2.風水師の予言

羊コは、墓の風水に詳しい人と知り合いになった。風水師が言うには、

「羊コのご先祖の墓からは帝王の気が立ち上っている…。もし、掘り返したら一家が断絶してしまうだろう」

羊コは信じませんでしたが、ちょっぴり興味もありました。もし、皇帝になどなってしまったら…それはそれで嫌だと思った羊コは、先祖の墓へダッシュ!掘り返しはしないものの、墓のそばに小さい穴を空けました。

それから、先ほどの風水師を呼んで墓を見せたら、

「うむ…皇帝の気は無くなってしまったなあ。。。でも、手の骨は折るけど、三公くらいにはなれるぜっ( ゚∀゚ !」

とのコメントをもらいました。

その後、馬から転げ落ちて腕の骨を折ったり、死後には公以上の太傅にまでなりました。他にも小話がありますが、世説新語にあるので割愛。羊コがもし、三国志末期ではなく、中期に活躍していたら…とんでもない英雄として名を刻んでいたかもしれませんね。