呂拠 呂範の息子にして、優秀な軍人

どうも! 諸葛菜です!

今回は呉の功臣呂範の息子呂拠さん。 呂拠(生年不詳-256年)

父:呂範

ウィキを見ると、結構いけてるっしょ?(‐^▽^‐)

初登場は三国演義第108回。孫権死後、司馬師が呉を滅ばさんと軍勢を南下。呂拠は兵士10000人を率いて、唐咨(シ)、留賛らと共に、呉の守りの要である東興郡に向かいます。 初戦で丁奉が魏の軍団を追い散らしたため、呂拠の活躍は描かれていません。その後、調子に 勢いに乗った諸葛恪がさらに北上。魏の拠点である新城を囲んでだまされたり、陣中に疫病が流行ったりして結局退却。

呂拠も一緒に城攻めをしていたことでしょう・・・。

 

再登場は第111回。 ウィキを見る限り、呂拠はかなりの良将・・・どんな活躍を見せてくれるのか!?

時は流れ、呉の丞相孫チン(ぷっ)が専横を極めていました。

以下、演義抜粋

(中略)

孫チンは字を子通といったが、人となりは兇暴で、大司馬滕胤、将軍呂拠、王惇らを次々に殺して(略)

 

ゲゲエー!?

 

すでに殺されていたっ!?

この後、演義113回で、孫チンが皇帝孫休、丁奉に縛られたとき、呂拠の名前が出てきます。お墓も作ってもらい、名誉は回復します。

でも、ウィキを見ると熱い男なんですよ。呂拠。山越族などの異民族との戦いでも功績を収めています。孫俊が丞相になったときも、呂拠の歓心を得ようとしたとありますので、軍人としても、政治家としても力のあった人間だったと憶測できますね。

孫チンの丞相反対運動を行っていたとは・・・。孫チンが唐咨らに、呂拠討伐を命じます。

しかし、彼らは呂拠を生かすために魏に降服するよう呂拠にアドバイスしています。人望もあったんですね。 呂拠も三国志ゲームに登場させてほしいなあ。