楊済 演義の最終回で名前だけ武将かと思っていたら以外にも…面倒い!
どうも!
諸葛菜です。
楊済?三国志演義にかかわらず、中国の歴史物にどこにでもできそうな人名ですよね? 登場回は演義最終回の第120回
冠軍将軍として諸軍を統括した…
と、一言で終了!
たった一行の名前だけ点呼され武将なので、落ちも何もない。当然、このあと、登場することはありませんでした。最終回ですしね^^;
検索すると微々たる情報が
ネット検索したらウィキもあるし、中国語サイトにもデータが載っていましたw。ただの出落ちモブで終わらせたかったのに…ちっ!( ゚д゚)
魏の武将というよりも、晋の武将ですな。襄陽に駐屯して杜預たちを統括したそうなので、それなりに優秀だったのでしょう。
武勇はあった
晋の武帝司馬炎が狩りに出かけた時のこと。 突然一匹の猛獣が司馬炎の前に飛び出してきたので、侍中の王済にに命じて、これを射殺させました。しばらくしたら、もう一匹猛獣が現れたので、今度は楊済に命じて射殺させたところ、拍手喝采されました。
司馬炎は武官や声望の高い外戚を重用しており、楊済の武芸は衆を抜いていたので、大変気に入られていました。兄の楊トウは深謀遠慮であり、外甥の李斌とともにしばしば武帝に進言をしていました。
出世したけどクーデターにより死去
楊済の一族である楊駿は大司馬の汝南王司馬亮を嫌っており、彼に汝南へ戻るよう催促していた。楊済と李斌は何度も楊駿を抑えたため、二人の関係は疎遠になっていった。
楊済は呉平定後も順調に出世街道をひた走りました。 しかし、陽春の専横を恨んだ、皇后賈南風がクーデターを起こし、楊駿のみならず楊済、楊トウらも殺されてしまいました。
楊済は武勇に秀でていたし、人望も高かった。演義では名前だけ武将ですが、晋になってからは活躍していたんですね。
だから、演義の出落ち武将は侮れません( ゚д゚)!