司馬伷チュウ 司馬懿の息子 演義で出落ち!

どうも! 諸葛菜です!

今回は皇族ですぞw 孫家、曹家、劉家? いやいや・・・司馬家、司馬チュウさんです。

[caption id="attachment_1569" align="aligncenter" width="600"] 著作者:vectorartbox.com[/caption]

演義での登場は第120回最終回です。 蜀はすでに滅び、魏は晋となっていました。皇帝司馬炎は呉を滅ぼうそうと、ついに決心!

抜粋 鎮東大将軍ロウヤ王司馬チュウにはジョ中に、(中略)それぞれ兵5万を率いて出陣し、

以上!

出番終わり! まあ、こんなところです。ウィキには随分書いてありますね。

司馬懿の息子で第4子、または5子。曹髦陛下が司馬昭天誅を下そうと、数百の兵を挙げた際、司馬チュウ、こやつ一喝されて退散していたんですね。

曹髦 part2 魏の皇室のため、自ら肉弾と化す!

司馬伷「これ以上の進軍、まかりなりませぬ~~~!」

曹髦「ゴルアっ!」

焦伯「くるぅアっ!」

司馬伷「ぴぎい・・・!」

羅貫中書けばよかったのに。

良将石苞が謀反の疑いをかけられたときは、警戒に行ったり。呉の滅亡後、武帝が呉に亡命していた幼馴染の諸葛靚(諸葛誕の子)との対面を望んだ際には、縁戚であったためそれを取りついだり(断られた)。

というのも、司馬チュウは諸葛誕の娘を嫁にしていたからなんですね。諸葛誕が挙兵した時、よく殺されなかったな娘…。

司馬チュウは呉を倒してからも、決して奢ることなく、生活は倹約、態度は謙虚だったため、兵士や領地の住民からは慕われていたそうです。

司馬炎にとっては、司馬チュウのように皇族だけど、謙虚、実直に職務をこなす人って信頼できたでしょうね。だけど、息子たちは八王の乱を起こすきっかけとなったらしいですが、それはまた別のお話。