荀 顗(じゅん ぎ)軍師荀イクの子!司馬氏をもり立てる!

どうも! 諸葛菜です。

今回は荀顗(ジュンギ)。演義ではチョイ役、司馬氏のへつらい役で出てきただけ。もしや、荀イクの身内では?と思った方、鋭いです。

ウィキより

幼少時に父が病死した後、姉の夫である陳羣に養育された。幼少時から博学多才の天才だったため、陳羣からは「博学な上に慎重緻密で、まさに義父に劣らぬ」と大いに賞賛されたという。司馬懿は少年時代の荀顗に会い「荀令君の息子だけのことはある。近頃、袁侃に会ったが、彼もやはり袁曜卿の息子だけはあった」と感嘆したという。その後、兄たちがいずれも早世したため、最終的に荀氏の家督を継承することとなった。

リンク元https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%80%E3%82%AE

 

ふ~ん。 荀さんのとこの子だから、頭は良いわけね。出だしはいいじゃない。

 

陳泰からも批判された身の振り方

登場回は第114回。 曹髦が司馬昭に弑逆され、王経も殺されてしまいました。曹髦の骸を棺に収め、文武百官を集めたが、陳泰だけが来ていない。陳泰の舅、荀ギに陳泰を呼びに行かせました。どんなやり取りがあったかわかりませんが、

「陳泰…お前も出仕してくれ。じゃないと私まで巻き添えを食らって出世できなくなるから」

ここまでは言っていなくても、これに似たようなことは言っただろうな…。

陳泰には、

「世の人々はそれがしを舅御と比べられるが、舅御も今となってはそれがしにもおよばなくなられましたか」

と、曹氏から恩義を受けている身ながら、司馬氏に与する態度を甥っ子に批判されました。

 

強気者につく…当然だろ?

続いて第119回。

演義の中ではモブ文官。二度名前が出てきただけでも上等です。司馬昭が跡取りを司馬炎にするか、司馬攸にするか迷っていました。

荀ギ、

「これまで、弟を立てて国を失うに至った例は少なくござりませぬ。ご考慮のほど願わしゅう存じまする」

と、同僚の王祥とともに進言。 ま、これからこの国(晋)も荒れまくるんですけどね^-^。荀ギは司馬氏の専横が始まると随分協力的だったようです。親父が曹操から死を迫られたからでしょうか。

魏では司馬氏に付き。 晋以後は、賈充・賈南風とともに謀略を巡らせ。

うま~く生き残って来ました。乱世では仕方ないこととはいえ、後世の評価は手厳しいです。

荀顗は司馬懿司馬師司馬昭・賈充と、それぞれの権力者の懐刀として狡猾に立ち回り、名声と地位を重ねた。賈氏や皇親の諸王の活動が、西晋の滅亡に繋がる八王の乱の遠因となった点も皮肉である。

『晋書』荀顗伝では、その人柄は「『三禮』に明るく儀礼に通じるが、筋道を質すような徳操を持っていない。荀勗と賈充の時代において、おもねっていただけである」と、手厳しい評価を下している。

親父の荀イク頑張った!