薛珝(セツ ウ)孫休の頃、孫チン誅殺の件で、蜀へ答礼に赴いた人
どうも! 諸葛菜です!
今回の出落ちは薛ウ。
セリフを言ってから、特に殺されることもなく、普通に消えて行った標準的な出落ちさんです。
薛ウ(207~270年) 父:薛綜 兄:薛エイ
演義での登場は第113回。
孫チンを誅殺の報告を蜀主劉禅へ報告したら、祝賀の使者が到着。その答礼の使者として薛ウが蜀へ旅立ちました。孫休は帰国した薛ウを召しだして、蜀の様子を尋ねました。
「近頃は中常侍黄皓が大権を弄し、官僚たちはみな彼に阿っております。よって朝廷には直言する者もなく、民草は飢えに迫られております。いわゆる『燕雀(小人)堂に巣食わば、大廈(大きな家)の焼けるのも知らず』というところでございましょうか」
薛ウの報告を聞いた孫休は、諸葛孔明が生きていたら・・・と思わず嘆息。
以上、薛ウの演義での活躍は終わりです。
ウィキもないので、中国サイトでチェック。 清庁の正殿を建造したり、269年に虞汜(グシ)、陶璜(トウコウ)たちと交シへ攻め込んでいます。おそらく勝ったのでしょうけど、帰国の途中で病死しています。