胡遵 公孫淵、毌丘倹討伐で活躍。目立たないけど文武両道の将軍です

どうも! 諸葛菜ですっ!

鐘会、姜維司馬師と来て、次に来るマイナー武将がひどく気の毒な感じです。そんな期待を裏切らず登場するのは胡遵将軍。 子:胡奮、胡烈 孫:胡淵

演義では地味で手堅くて、文武両道で、活躍の描写がほとんど無い良将っす!胡淵の子孫の胡国珍の娘は北魏の皇太后になり、胡氏が歴史上最も輝いた時期だったらしいです。

 

公孫淵討伐

さて、胡遵の登場回は第106回。 公孫淵討伐に参加し、先鋒を務めました。特に描写は無いのですが、卑衍、楊祚の部隊を程よく痛めつけたかと思います。公孫淵とはいえ、10万以上の大軍。武将たちの資質はともかく、勢いは多少あったと思うので、そんな相手に対して先鋒を任された胡遵も凡将ではなさそうです。

 

10万の兵力を持って呉を攻めるも丁奉に駆け散らされる!

第108回。

呉の孫権が死んだため、魏軍が南下。その際、胡遵は兵10万を持って東興攻めをまかされました。10万の指揮権を得られるとは、つくづく、この男、凡将ではありませぬ。

しかし、さしもの胡遵もここで失態をしてしまう。呉軍が籠もっている城を、息もつかせず攻めていたが一向に落ちない。季節は冬、厳寒で雪降りしきる。胡遵は大将たちを集め、士気高揚のため、盛大な酒盛りを始めました。

川筋から30艘の小船が迫ります。胡遵、相手が無勢なのを見て、

「たかが三千あまり。相手にもならぬわ」

と、部将を物見に出して、酒盛りを続けた。この船のどこかに呉の猛将丁奉閣下が乗っていることも知らずに・・・。丁奉相手にふてえ野郎ですが、数を頼みにしているので、余裕綽綽。丁奉一人に桓嘉・韓綜が屠られ、胡遵は馬に飛び乗り遁走。10万人も率いてこの様。総司令官が鐘会だったら間違いなく首を刎ね飛ばされています。

丁奉 part1 孫権から孫皓まで仕えた水陸両用の呉の名将!

天寿を全う

続いて第110回。 毌丘倹の叛乱鎮圧のために出兵しました。青洲の軍勢を統べ、毌丘倹の退路を断つよう命じられました。

戦場での活躍はなし。

天寿を全うした武将ですね。文武優れた武将であるし、胡奮、胡烈の父、胡淵の祖父だけのことはあるなあ・・・と。登場回が3回。しかもほとんど活躍していないし、特別癖のある武将でもない。拾い読みするのが面倒な良将でした。