唐咨 魏から呉へ 孫チンから逃れ、また魏に降った武将

どうも! 諸葛菜です!

今回は唐咨です! 知っている人は意外と多い・・・かな?

唐咨(生没年不詳) ウィキを見ると、最初は魏に仕え、叛乱分子と祭り上げられ、呉へ亡命。その後、呉では数々の武功を立て、出世しております。軍人としては優秀な感じがします。光栄のゲーム三国志7にも登場。ステータスがそこそこ高く、水軍も使えたので、ゲーム後半では比較的強い武将でした。

 

丁奉と一緒に出陣!!

さて、演義での登場は第108回。

諸葛恪が魏の大軍を迎撃するときに出陣しています。丁奉(3000人)部隊の後続として、呂拠、留賛とともに騎歩を各1万人を引き連れ出陣。丁奉一人で魏軍の先鋒を片付けてしまったので、出番は特になし。

諸葛恪が張特に翻弄されたり、疫病が流行して、結局敗退。

 

孫綝と一緒に出陣!

しばらく出番も無く第112回へワープ。 諸葛誕の援軍に先鋒として朱異と一緒に出陣。このときは諸葛恪ではなく、元帥は孫チン。魏の先鋒王基と激突。相棒の朱異が戦うが、三合もせずして退却、続けざまに唐咨が馬を進めるが、さんざんに斬りたてられて逃げもどる。呉軍、総崩れとなり、50里退いてしまいます。

こいつら・・・本当にやる気あるのか・・・?

孫チンが怒るのも無理ないぜ・・・。 相方の朱異が孫チンに処刑されたり、籠城戦に持ち込んだら、兵糧攻めにあい、文欽が諸葛誕に殺されたり、于詮が斬り死に。蒋班、焦彝、文鴦、文虎、全親子が降参しました。

諸葛誕も死に、やってられなくなった唐咨は魏に降参。 魏の参謀から、呉の兵士を帰国させるとまた攻めてくるから、生き埋めにするのはDO?

と、発案されましたが、人気取りのために司馬昭が彼らを許し、帰国させました。唐咨もこれに便乗して許され、帰るかと思いきや、孫チンが怖くて、魏に骨をうずめる覚悟で残留します。もっとも、呉に残してきた家族は皆殺しにされたそうですが・・・。

これで、唐咨の出番も終わりか・・・と思ったら。

 

最終的に呉攻めを手伝う!

第116回。 司馬昭が蜀討伐を決意。鄧艾、鐘会に大将を命じ、出陣の準備を整えさせる。会はそのまま蜀へは入らず、船を集めたり、建造したりすることで呉に攻め入るそぶりを見せ、呉をけん制。船集めに唐咨が狩り出されていました。

以上、唐咨の巻終了!

つくづく悪運の強いキャラでしたね・・・叛乱、亡命、降参・・・そして、数々の戦を経つつも、天寿を全うした珍しいキャラ。

おつかれ!唐咨!