毌丘倹(カンキュウケン)part2 皇室の危機はほっとけない
どうも! 諸葛菜です!
カン丘倹第二段。
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毌丘倹…起つっ!
司馬氏が曹芳を廃したと聞くや、毌丘倹が憤然と義兵を挙げた! 文欽を自宅に招いて、世間話をするおりしも毌丘倹は止めどもなく涙を流していました。
「司馬師めが大権を弄してみだりに天子を廃し、天下まさに覆ろうとしておるのに、安閑としておれるとお思いか」
と毌丘倹。 その場で文欽とともに誓いを立て、大后から密詔を賜ったと宣言し、毌丘倹は6万、文欽は2万の兵を起こしました。中央の司馬氏政権と戦うには、いささか心細いですが、士気は軒昂。何となくやってくれそうな勢いはあります。
毌丘倹も、そう思ったのか、諸郡に檄を飛ばし加勢に起つよう呼びかけた。
毌丘倹は当時、魏の中でも名の知れた武将。高句麗征伐を成功させ、武名も高かった。自信もあったし、俺が起てば、諸郡の軍勢も起つという見込みがあったのでしょう。毌丘倹が叛乱を起こしたことで、司馬師、鐘会も対策を練り始めます。
呉の孫峻まで駆けつけ
かの地の軍勢は精強で勢いあり。鐘会のすすめもあり、司馬師みずから出陣。司馬師の死兆星を見逃さなかった鐘会も同行します。南頓という場所に陣を取ろうとしますが、司馬師に先を越されてしまいます。ここで出鼻を挫かれ、次の出方に困っていると、
「東呉の孫峻が兵を率いて大江を渡り、寿春に押し寄せました」
との注進が入り、
「わしの本拠がなくなってしまう!」
と、びっくり仰天。
この辺で、毌丘倹活躍の第110回は読むのをやめようと思いました。毌丘倹の詰めの甘さもありますが、ここは水を差した孫峻にイラっとしてください。
司馬師は項城、楽嘉城に攻めてこようとしたので、文欽親子に楽嘉城に行くよう命じました。
終局への流れ『籠城』
項城に籠もった毌丘倹。 文欽がやられ、寿春も奪われたので、仕方なく斬ってでました。先鋒の葛雍が鄧艾に斬られ、手柄武将の肉片と化す。
鄧艾、胡遵、王基らに四方八方から攻めたてられましたが、毌丘倹も去るもの。必死の無双で包囲を脱出。
慎県という城下町で、県令宋白なるものに迎え入れられ、毌丘倹が酔ったところを、宋白に殺されてしまいました。
淮南平定。