郤正 地味だけど、蜀の忠臣!姜維の愚痴相手はお任せ!

どうも! 諸葛菜です!

蜀の姜維を高評価した男、蜀の安定剤郤正先生です。

郤正(げき せい、生年不詳-278年)

エピソードはこちら

ウィキを見ると、蜀のがん細胞黄皓どののとなりに住んでいたんですね。

彼自身も出世に興味を示さなかったため、黄皓から貶められる事は無かった。ただし、昇進する事も無かったという。 また、 劉禅が魏に降伏する際には降伏文書を書いた。そして洛陽に移送された時、妻子を捨てて劉禅に付き従った。劉禅は郤正の補導宜しきを得て、魏において落ち度なく振舞う事ができたので、「郤正を評価する事が遅かった」と後悔したという。

リンク元:ウィキ

演義本編でも、姜維に献策したり、姜維からも「先生」と呼ばれていたので、いいキャラだなと思っていました。さらに、ウィキを見ると貧しい家庭環境から身を立て、劉禅への忠義振りが素晴らしい!郤正先生、株が急上昇ですっ!(゚Д゚)

 

演義での郤正先生の活躍

登場回は109回。 姜維が北伐にあたり、羌族の手を借りることに。羌族と言ったら、金銀財宝の物品で釣るのが手っ取り早いです。とはいえ、相手は話がなかなか通じなさそうな蛮族の方々。

ウイグル獄長の異名をとる、俄何焼戈さんもいることですし・・・。並みの武将・文官では勤まらないはず。そこで、郤正先生が出陣。羌族の大王迷当を見事に垂らし込み味方に引き込み、五万の兵を出させ、魏へ攻め込ますことに成功しました。

[caption id="attachment_1852" align="aligncenter" width="333"] 百度:郤正より[/caption]

姜維のブレーキ役として

演義第115回。

姜維が珍しく鄧艾をキ山に追い詰め、囲んでいると、蜀朝廷から早馬。急ぎ帰参せよとの勅命でした。これは、黄皓劉禅をそそのかして、姜維を帰参させたもの。

姜維は、引き揚げの理由を郤正に聞くと、

「なんと、大将軍にはまだご存じなかったのでござりますか?実は、黄皓めが閻宇に手柄を立てさせようと思って天子に奏上し、詔をだして将軍を呼び戻したのでござりますが、鄧艾がなかなかの智将と聞き、そのまま沙汰やみとなっているのでござります」

閻宇w。彼の活躍は演義で描かれておりませんが、時間のある時に、適当にいじりたいと思います。 さて、 姜維黄皓をぶち殺すといきり立ちますが、それを抑える郤正先生。

「あいや、大将軍は武侯亡き後の大任を引き継がれたお方、さような軽率な振る舞いはお控えあそばされますよう。もし、天子のお許しがおりなければ、かえって大事になりましょうぞ!」

武功亡き後・・・のところで、何となくしんみりしてしまいました。費褘、董允、蒋エンがたおれ、劉備孔明の中原回復の夢を抱いている蜀将は減りました。蜀末期に、郤正のような文官からの一言は蜀ファンにはたまらないはずっ!

姜維は、国家と自分の身を守る方法を教えてほしいと郤正にたずねます。

「隴西に沓中と申し、地味豊かなところがござりますが、将軍も武侯が屯田された例にならい、天使のお許しを得てかしこに屯田されたらよいではござりませぬか。これ一つには麦が熟せば兵糧にあてることができ、二つには隴右諸郡を手中にすることができ、三つには魏の者どもに漢中をうかがうことをできなくさせ、四つには将軍が外にあって兵権を握られることになるゆえ、誰も手出しができなくなって、禍いを未然に防ぐことができようもの。これこそ国家の安泰をはかり、かつ将軍ご自身を守ることのできる策でござりまする。一日も早く実行に移されますよう」

劉禅 Part.2 蜀のラスト・エンペラー見事な降伏?

蜀降伏後も劉禅のお側に

しかし、姜維屯田、防衛むなしく、劉禅が降服。劉禅が洛陽に呼ばれて、それにつき従うものは郤正、譙(しょう)周ら数名のみ。司馬昭が宴会を開き、その席で、劉禅が、

「魏はけっこう楽しいしぃ~、別に蜀は懐かしくない~みたいなあ~w!」

とご満悦。それを見かねた郤正が、

「陛下、なぜ職を思わぬなどと仰せられたのでござりますか。もし、ふたたびたずねられましたなら、泣いて『祖先の墳墓が、遠い蜀にあるゆえ、西のことばかり悲しく思い出されて、一日として思わぬ日もござらぬ』とお答なされまするよう。」

司馬昭が前回同様の質問をして、劉禅を笑いの種に。

「おやまあ・・・郤正の言葉にそっくりでござるなあ!!!」

劉禅も「いかにも」とか答えちゃったので、郤正のメンツもつぶれちゃいます。まあ、この劉禅の行為の是非はともかく、郤正、魏に下ってからも劉禅を「陛下」とよんだり、家族を捨てて、劉禅に同行した姿は悲しいけれど、忠臣の姿をみることができました・・・。劉禅の野郎も、郤正先生を評価するのが遅すぎですっ!

費褘他、4宰相には及ばないながらも、郤正先生が費褘の後を継いで蜀の国運を担ってほしかったなあ・・・。

ゲーム三国志7では、彼には内政以外にも、戦場に出張ってもらいました。

頭がいいから、虚報にも引っかからないし、連弩、乱射、無双を身につけさせて、拠点防衛要因として大活躍させました(笑)。いつもどおり、全然まとまってないけど、この辺で!