諸葛誕 狗と呼ばれた男…魏の皇室のために司馬氏に鉄槌を振りかざす!!

どうも! 諸葛菜です。

[caption id="attachment_1859" align="aligncenter" width="350"]http://baike.baidu.com/item/%E8%AF%B8%E8%91%9B%E8%AF%9E/2985314?sefr=cr 百度諸葛誕より[/caption]

 

諸葛亮らの親戚、諸葛誕将軍です!諸葛亮は蜀へ、諸葛瑾は呉へ。諸葛誕は魏へ。 諸葛亮が龍、諸葛瑾が虎、諸葛誕は狗に喩えられました。狗とは言っても「功狗」と、功ある者の意味で賞賛がこめられているそうです。

でも、狗に喩えることはないよなあ…。狼とか馬の方がかっこいい気がするが。対蜀戦では活躍していないけど、内乱鎮圧、対呉戦で活躍しました。

  • 魏の王凌を倒し、鎮東将軍に昇進。
  • 諸葛恪が北上した際はこれに敗北しました。

さて、演義での活躍を見てみましょう。

 

毌丘倹を鎮圧

まずは第108回。

毌(カン)丘倹と悪漢文欽が、司馬昭によって曹芳が廃されたことに怒り、淮南で挙兵司馬師自ら出兵し鎮圧に当たりました。演義には書いておりませんが、毌丘倹はこの時、諸葛誕へも檄文を送っており、挙兵に参加するよう誘っています。

諸葛誕は拒絶し、鎮圧側に廻りました。

これは私の勝手な想像なんですが、おそらく、「文欽なんかと一緒に戦いたくねえ!」と思っていたのではないでしょうか。

文欽は、姑息な手段で魏・呉の国境を荒らしまわったり、捕虜の数を上乗せしたり、戦功を針小棒大中央政府に報告するなど不正行為を平気でするので、まじめな諸葛誕は彼のことを毛嫌いしていたかもしれません。

結果、毌(カン)丘倹は敗北。諸葛誕の活躍はなくこの回は終了。 演義には書かれていませんが、寿春を奪取しようと亡命者文欽を引き連れた孫峻軍と戦い、これに勝利!この時、留賛を斬っています。

諸葛誕は任地の淮南では兵を募り、屈強の者どもを雇い身辺を固めていました。功を上げ、身分も高くなってきたので自衛のためだと言われています。

 

功臣の息子をまずは血祭りに

演義第111回。

司馬家の太鼓持ちの賈充が、諸侯のうち、司馬家が政治を壟断していることに不満を持っているものがいるはず。これらの意向を探るべしと、司馬昭に提案します。

賈充は諸葛誕の元へ到着。諸葛誕は宴席を設けて賈充をもてなしました。賈充はあろうことか、曹髦が惰弱だから司馬大将軍に魏の大統を譲るべきとのたまわった!

諸葛誕怒るまいことか、

「そなたも賈キの子で、代々、魏の禄を食んできた者ではないか!よくもそのような不届きなことが言えたものだ!」

賈充は驚いて、「他の人がそう言ってただけです~」と言いわけ。

「天子にもし万一のことがあらば、わしは一命をなげうってもご奉公する覚悟じゃ」

賈充は急いで司馬昭の元へもどり報告。司馬昭も「ううむ、小癪なり」と、悪代官が吐くようなセリフを吐いていました。

諸葛誕を都に召そうとして司馬昭が詔を発送。先般の賈充とのやり取りで思い当たる節があるので、使者を捕獲。拷問にかけてみると、揚州刺史の楽チンもこのことを知っているという。都におびき寄せて諸葛誕を殺してしまおう作戦に、楽綝(楽チン)までもが参画していることに諸葛誕は激怒。

すぐに兵1000人を引き連れ、揚州へ殺到。門はすでに閉ざされて、橋も引き揚げられている。開門を申し入れても返事がない。

「ううむ下郎め!小癪なり!」

と、屈強の猛将ども10数人が馬を下りて壕を越し、壁をよじ登って開門。どんだけ強いんだ屈強の者ども(汗)。

楽チンの館へ殺到し、楽チンは館の楼上へ避難していました。

「貴様の父親楽進が魏の大恩をうけたことを忘れたか!恩を返そうともせず司馬昭如きにつくとは何事か!」

と、大声一喝。楽チンが言葉を返す暇も与えず斬り殺した。

ひでえ。。(´д`lll) ここまでやるなら、賈充めをその場でサックリやってほしかったなあ。

司馬昭の罪状を数え上げた上奏文をしたためて、使者を洛陽へ上せ、楽チンの部下4万を自軍に繰り入れ、自軍とあわせて14万の兵を起こしました。息子の諸葛セイを人質として、呉へ加勢を求めました。

孫チンはこの願いを聞き届け、雑魚軍団朱異、全端 全懌、全褘(ゼンイ)、于詮、唐咨らを出撃させました。司馬昭軍とかち合ったら、呉の援軍はあっさり蹴散らされる。

朱異 朱桓の息子 優秀な将軍だけど性格に難あり?

 

諸葛誕が自ら司馬昭軍と激突!

序盤は押していましたが、呉の兵士たちが牛馬や金品を満載した餌に飛びつき、そこを州泰、王基らに包囲され、こてんぱんに。

仕方なく寿春城で篭城することになりました。呉の朱異たちが諸葛誕を助けようと、司馬昭に戦いを挑みますが、全く勝てません。于詮や全端が諸葛誕と合流し、外にいる朱異と一体となって司馬昭を倒そうと計画しました。

しかし、司馬昭・鐘会にとって彼らの策など子供だまし。全く通じません。かくて、諸葛誕の守る城は気まずい雰囲気が充満。全エキが魏に投降したため、城内で乱闘騒ぎが起き、ここでも兵士の数が削られました。

兵糧も少なくなり、幕僚の蒋班・焦彝から討ってでて決戦しようと提案されました。

諸葛誕は怒り、

「わしが守ろうとしておるのにう、討って出ようとなぞと申すことは、二心でもあるのか!二度とそのようなことを申せば斬って棄てるぞ!」

この二人は逃亡、魏に投降しました。諸葛誕の計画としては、ワイ水が氾濫するのを待って、それに乗じて討って出ようと思っていたのでした。

が、雨は降らず、そうはうまく事が運びません。文欽は兵士を城外に出して食い延ばし計画を提案しましたが、

「おのれ!わしを北軍から引き離そうと言うのは、わしを殺そうとしてだな!」

言うやいなや文欽を斬首っ!

怒った文鴦・文虎たちとちゃんばらしたものの、二人を捕らえることができず。文鴦たちは魏に投降し、それぞれ役職をもらいました。部下たちも、

司馬昭の目の敵にされていた文鴦たちでさえ重く用いられたのだから、われらならなおさらのことだ」

と、話し合い、一同降参を考えるようになった。これ以後、諸葛誕は降参の気配のある者を取り締まるべく、自らパトロールをはじめた。疑わしい者がいたら、即、斬首。片端から斬って廻ります。

城内は阿鼻叫喚の地へと早変わり。総大将がキラーマシーンになったら、部下たちはたまったもんじゃありません。諸葛誕は怒ると手がつけられないタイプですな(汗)。この内部分裂に気づいた魏軍は、城攻めを敢行。

城門は諸葛誕の配下である大将曾宣が裏切り、開門。魏軍が次々となだれ込みました。諸葛誕は斬って出たが、胡奮に一刀の下に斬りおとされ絶命。諸葛誕の一家も尽く殺され、諸葛誕の部下たちも降参をせず、

「諸葛公のお供をする!貴様なぞに降るものか!」

刑手に命じて城外に引き出させ、一人ひとり斬首。降参したものは助けてやるぞ!と言われても、誰一人降ろうとするものはいませんでした。

部下には慕われていた諸葛誕

カン丘倹と一緒に蜂起していたら、少しは違ったものになったかもなあ…。

惜しい人物でありました。