諸葛恪 part4 腹痛ではなくて「急性腸炎」って言えばよかったのか・・・!

どうも! 諸葛菜です!

諸葛恪ストーリーも大詰め。死兆星がギンギラギンに輝いています。敗戦の咎を、全て部下に押し付け、自宅に引きこもった諸葛恪君。多くの部下を処刑してきましたが、呉の朝廷はこれを見過ごすはずはありません・・・。

[caption id="attachment_1750" align="aligncenter" width="600"] 百度諸葛恪より[/caption]

どーなる、諸葛恪っ!?

諸葛恪の横暴に皇帝孫亮ブチギレ!

諸葛恪の度が過ぎたトカゲの尻尾きりには、孫亮も不満顔。さらに、「兵権を奪われてしまった孫峻」、「かねてから諸葛恪に含むところのあった滕胤」は諸葛恪に天誅を加えるべく画策します。時の皇帝である孫亮へ、諸葛恪天誅大作戦を奏上。

「朕も彼に会うのがおそろしくて」

っと、即断!ゴーサイン。

作戦は簡単。

  • 孫亮が宴を企画。それに諸葛恪を招待する。
  • 屈強の者どもを壁の裏に潜ませる。
  • 杯を投げるのを合図に、席上で誅殺。

いつものパターンやね・・・。(・ε・)

 

諸葛恪の精神状態が末期症状に

一方、負けて帰ってきた諸葛恪は病と言い立てて、家に引きこもり。 ある日、何気なく広間に出たところ、白の喪服を着た者が入ってきた。厳しく咎めて、拷問にかけたところ、

「それがし、寺だと思って入ったところ、なんと大傅のお館だったのでござります」

自分でも何がなんだか、とのこと。門番の兵士数十名も、

「しっかり警備していたけど、一人も中に入ってきませんでした」

と回答。これに怒った諸葛恪は激怒。喪服の男&兵士数十名を処刑。この精神状態を見るに、諸葛恪は、いろんな意味ですでに末期。失態とはいえ、いきなり処刑。こんなことばかりしているからますます錯乱状態へと陥っていくんだよ…。

演義前半の董卓らの大虐殺もひどいです。

しかし、演義後半の三国鼎立し、皇族や高名な諸葛氏がたびたび行うジェノサイドには、もっと辟易します。

さて、諸葛恪の身辺で起こる怪奇現象は、これだけにとどまりません。

・夜も眠れずにいると、真夜中に雷が落ちた音が聞こえたと思ったら、梁が真っ二つに。 ・寝室に戻るとさっと生臭い風が吹きすぎ、昼間殺した兵士たちと喪服の男が首を返してくれと迫ってくる。 ・翌日、顔を洗おうとしたら洗面の水が血生臭い。水を取り替えても臭いが取れない。 ・赤犬が諸葛恪の着物の裾を咥え、悲しげに無く。 ・そして、立ち上る白虹・・・。

勅使がやってきて、諸葛恪を酒宴に誘う。

 

死の宴

車に乗って出発すると、地面より一条の白虹が立ち上り、天に沖する。

こ、これは、先の戦で蒋延が言っていた戦に破れる兆しでは・・・っ!?(((゜д゜;)))腹心の大将張約も、今日の宴は不吉なので、お引き返してはいかがとすすめ、諸葛恪は車を返そうとする。

そこへ、孫峻・滕胤が馬を飛ばせて諸葛恪の前に立ちはだかる。

「これはこれは・・・ひひひっ。大傅、何故お引き返しなさる・・・フヒヒ・・・」 「急に腹が痛くなったので帰る」

っと言っても孫峻・滕胤は、言いくるめて、諸葛恪を連れ出します。会場到着後、諸葛恪は毒殺を恐れてか、酒を飲もうとしない。

孫峻が、

「フヒヒ・・・太傅には薬酒を常用されておるとか・・・ヘヒ。お取り寄せになってはいかが・・・?ふしゅるる・・・」

セイントセイヤの初期のカシオスみたいに書いていますが、演義本ではきちんと話しておりますぞっ!

さて、茶番はさておき。 それなら安心と、薬酒を取り寄せます。 そういう問題ではないんだが・・・。坊ちゃんだけに、この酒宴の裏に何があるか・・・までは考えていなかったんでしょうね。

くっ・・・こんな時に危険探知機の蒋延がいたら・・・っ!返す返すも惜しい人材だった・・・!

酒宴で、酒が数巡したとき、孫亮が席をはずす。つづいて孫峻が、

「上意だ。逆賊、誅を受けよっ!」

諸葛恪が剣を抜いて迎えようとしたとき、すでに首を飛ばされていた。お供の張約さんも、屈強の者どもに粉みじんに・・・。更にひどいと思ったのが、諸葛恪と張約の死体を下人の穴の中にポイ捨てっ((゚m゚;)下人もたまったもんじゃねえっ!∑(゚Д゚)

カメラがかわって、諸葛恪の屋敷。諸葛恪の奥さんのところに、血の臭いをさせた召使が立ち入り、柱に頭を打ち付ける。

「わしは諸葛恪じゃっ!奸賊、孫峻の手にかかった」

奥さん、自宅にいる屈強なものどもを引き連れて、早く魏の諸葛誕のところへ逃げるんじゃあっ!(゚Д゚)あ、でも・・・先日、見張りの兵士を殺しまくったばかりか・・・。

亡霊諸葛恪の愛妻への警告むなしく、一族全員召し取られた上、処刑されてしまいます。時に、253年であった。

昔、諸葛瑾在世のおり、

「この子は、一家を全うする者ではあるまい」

と、嘆息したこともあるとか・・・。 蜀と比べて、人材が豊富であった呉なのに、こういった内輪での粛清はへこみますね。

諸葛恪→孫峻→孫チン・・・大臣クラスによる虐殺は始まったばかり・・・! それにしても、下人の穴って・・・ひどすぎるっ!墓じゃないのか。下人に対して失礼です。