諸葛恪 part3 呉の将来は私独りの双肩にかかっている!(思い込み)
どうも! 諸葛菜です!
諸葛恪編もpart3に突入。いよいよ演義本編でのお話です。 魏に政変が起こったり、蜀が無謀にも魏に挑みまくっている時代。演義後半では、完全に第三国扱いされている呉の大幹部を務めた諸葛恪。
孫権から後事を託される
[caption id="attachment_585" align="aligncenter" width="720"] 画像:百度より[/caption]
その活躍は如何・・・!?
演義98回の「諸葛瑾のロバ」エピソードで華々しいデビューを飾り、ここでは父親思いの微笑ましいキャラをアピールできました。
それからしばらく登場していませんでしたが、再登場は第108回。太子孫登の死去、跡継ぎ問題でゆれる中、孫和が遠ざけられたり、孫魯班・孫俊などが暗躍したり、孫堅以来の呉のファンが嫌になるような展開が続いていた。この時、陸遜、諸葛瑾はすでに死去しています。
さらにさらに、251年秋には、激しい風が起こり長江が大荒れにあれ、大洪水。呉主代々の陵に植えられた木々も根こそぎ持っていかれ、建業城の南門外に飛来し、路上にさかさまにぶっささるという超怪奇現象が起きていた。それに驚いた孫権は死亡。いやいやながらも大傅諸葛恪に後事を託します。どんよりとした暗雲が、呉の朝廷を覆い、なんだか末期ぽい雰囲気の中、諸葛恪が奮闘します。孫権の死後、諸葛恪は孫亮を皇帝とします。
魏の南下を防ぐ
孫亮が幼いから、攻めるのに絶好の機会とばかりに魏の司馬師が、軍を南下させます。諸葛恪が諸将を集め、迎撃の策を練る。丁奉より、呉の要の東興を固めるべくよう提案があり、諸葛恪はその案どおりに軍を進める。
諸葛恪ももちろん出陣。丁奉、唐咨、呂拠の先発軍の後に続いて、大軍引き連れて北上。寡兵で奇襲した丁奉軍が、魏の大軍を蹴散らし、無事勝利を収めた。勝利を飾った後、諸葛恪が現場に到着。
今回の戦はあくまで防衛が主。止めておけば良いのに、戦っていなかった諸葛恪が提案。
「司馬昭が逃げ帰った今こそ、余勢を駆って中原を攻め取る好機じゃ(^∇^)」
しかし、ここで諸葛恪に冷や水をぶっ掛ける勇士が一人。
「これは、いわゆる百虹にて、戦に敗れる兆し(略)」
と、蒋延さんが一言。
「おのれ、不吉なことを申してわが軍の士気をみだす気か!?」
といつもの展開になりかけましたが、一同命乞いの結果、蒋延を庶民に下しました。初戦に圧勝したため、イケイケな気分で北上する諸葛恪。そこに立ちはだかったのが、新城の牙門将軍張特。
牙門将軍とは・・・三国志人物外伝 亡国は男の意地の見せ所 (平凡社新書)著者の坂口先生曰く「その他大勢的な感のある」役職。P165参照。
だそうです。
参考記事:張特 諸葛恪?ただの頭でっかちだろ!?籠城作戦は得意だぜ!
手柄を狙うも蛇足!
諸葛恪の大軍が見事に圧勝かと思いきや、
ここに諸葛恪ははや二月の余にわたって新城を囲んでいたが、いっこうに落ちない(原文ママ)
「力をあわせて攻め落とせ。力を惜しむものは見つけ次第、斬る」
次第、斬るのあいだに「、」を入れてるのがすごく怖いです。((゚m゚;)諸葛孔明がカク昭を攻めたときとは、全く違った雰囲気。
「大傅、こういうときは離こそ、離こそ大事でございますぞ!」
とアドバイスする配下もおらず(したら殺されちゃうか)、力攻めを続行。落城寸前まで追い込みますが、張特から使者が。
使者曰く
「魏国には篭城戦の際、100日ルールと言うものがある。100日間守っても援軍が来なかったら、降服してもよい・・・(略)」
張特将軍も、「頭が良いって言ったって、諸葛恪も所詮はボンボン。人の言うことを信じやすいだろうから、うその降服でもするか」こんな考えで偽りの使者を送ったはず!なめられまくりな諸葛恪、これを信じてしまう。
もちろん、降服なぞしません。
「話が違うじゃないかー)`ε´( 」
と詰め寄りましたが、終いには、「呉の犬ども」扱いされて、矢玉を浴びせられ、怪我まで負ってしまう。諸葛恪の矢傷は癒えたが、兵士たちは疫病にかかり苦しんでいる有様。また、都督の蔡林が魏に降り、全軍戦意喪失状態に。諸葛恪は退却を決意。
すかさず、魏の毌丘倹に追い討ちをかけられ散々に追い立てられて、呉に帰国。帰国後、諸葛格は早速保身に走ります。病と偽って館に引きこもり。それでも、皇帝孫亮や文武百官が見舞いに来るくらいだから、さすが重鎮という感じがしないでもありません。・・・というか、行かないと後でえらい目に遭うから、いやいや行っているのかな・・・。
敗戦後、失態は全部部下の責任に。自分は引きこもり
敗戦後、ご親族の諸葛孔明とは一風変わった戦後処理をしてくれました。敗戦の咎を責められることを恐れた諸葛格は、先手を務めた大将、役人の過失をあぶり出し、軽いものは遠方へ、重いものは見せしめのために処刑。官僚たちはこの処置に恐れおののくばかり・・・!!(((゜д゜;)))近衛軍を腹心の張約・朱恩に統べさせ、己が手先とした。
ムムムなキャラ全開ですな・・・諸葛恪君。この辺なんですよね・・・諸葛孔明、諸葛瑾と比べてしまうのが・・・。張特に懐の広いところを見せて懐柔するとか。
「力をあわせて攻め落とせ。力を惜しむものは見つけ次第、斬る」
って、その辺のモブ武将のセリフと変わらんし。カン丘倹に追い討ちをかけられる事を予測して、孔明並みに伏兵を置くとか。
もしくは、孔明が司馬懿戦の退却時に使った孫子の兵法を発動させるとか!※孔明は司馬懿の追い討ちを回避するため、「キャンプ時の竈の数を減らして司馬懿を欺くver.(孫子の兵法の逆)」の計略を用いました。
相手がカン丘倹なので、諸葛恪は孫子の兵法通りに、退却の際、竈の数を増やしていけば、カン丘倹くらいなら簡単にだませた気がします。敗戦処理についても、諸葛孔明のように、丞相の職を辞したりしたら大したもの。
「それがし、敗戦の非を悔い改めるため、大傅の職を辞しとうござりまする」
の一言があればなあ~。やったことは、部下に責任を押し付けてのトカゲの尻尾切り。これが出来ていれば、第108回で死ぬことはなかったろうに・・・。陸遜や諸葛孔明から、
「細かい仕事に向いていない。人を人と思わない。
と指導されていた諸葛恪なので、常日頃から、「周りの連中は俺のことを良く思っていない」と、本人も察していたのかもしれませんね。
だから、今回の敗戦で命の危険を感じ、自分の重役を捨てることができなかったのでしょうね・・・。