張嶷 part2 孟獲を七回離した逸話は俺のものさっ!

どうも、諸葛菜です!

張嶷は本当は活躍していたんだあああ!

参考文献は「もう一つの『三國志』 ―「演義が語らない異民族との戦い―」です。 張嶷は、実は、異民族平定に最も貢献した武将なんですよね!諸葛亮孔明の南蛮征伐が有名ですが、この話の大元は、張嶷なのです。 それでは、張嶷の輝かしい異民族平定、懐柔振りをご覧あれ!

異民族の平定

孔明の第一次北伐準備で漢中に駐屯した際、山賊の張慕らが叛乱、略奪したため、張嶷が討伐の任にあたった。

山賊らは攻めても逃げ散ってしまい、これをまともに討伐する事は不可能と判断した。そこで和睦と偽って賊を酒宴に招き、その場で自ら側近を率いて山賊の首領ら50人余りを皆殺しにすることで平和を取り戻した。 孔明の第三次北伐の際も、馬忠とともに羌族討伐へ向かう。羌族は要害に石門を作り、容易に抜けない。そこで、張嶷は通訳を派遣し「服従し、軍費を提供するならば、お前たちの禄は百倍となって報いられよう。もしも拒むならば、後悔するぞ」と威圧を加えつつ教え諭した。結果、この部族は命令に服し、その他の部族もこぞって降参した。

233年、南蛮の劉冑が叛乱。 劉冑を斬り殺し、張嶷が戦功第一。

獠(リョウ)族(西南夷の部族)を鎮定。彼らを降服させ、2000人の兵を手に入れた。越嶲(スイ)郡で叛乱が起こっていたが、太守は赴任せず(どんな野郎だ・・・)、張嶷が平定に向かった。張嶷は恩愛と信義でもって彼らに対応したので、多くが帰順。

北方の捉馬族は最も勇猛だったため、なかなか服さない。 張嶷はこれを討伐して首領の魏狼を生け捕り、縛めを解いて解放。他の者たちも続々と投降。魏狼を侯に封じ、集落3000余戸もその土地で今までどおり暮らすことを認めた。

その後も、西南夷の首領たちを討伐、懐柔していった。悪い首領は殺し、集落の人々に彼の悪事を説き聞かせ、恩賞を与えて帰服させた。また、これにより、塩や鉄を南蛮から手に入れた。

硬軟織り交ぜた対応が、功を奏していますね。

張翼張嶷と同じ任についたことがあるようですが、厳しすぎたようで張嶷のように慕われなかったようです。

 

張翼は祖先に三公を持つ名門の子

張嶷は貧しい家の出身。 人心の機微を知るには後者の方が勝っていると、作者の坂口先生もおっしゃっています。

 

1.費イの危険を予感

費褘のざっくばらんな性格を心配して、帰順したばかりのものを余り信用してはならないと費褘に警告。張嶷の心配は的中し、魏の降将郭循によって刺殺されてしまった。

 

2.諸葛恪の危険を予感

呉の諸葛恪が東興の勝利でイケイケどんどんになっていたことを危惧。 いとこの諸葛瞻に手紙をしたためて、「幼帝のそばを離れて敵地に踏み込むと、内部の敵に足を掬われよう」といい、諸葛瞻から諸葛恪に忠告させようとした。 結果、孫峻に殺されてしまう。

 

3.夏侯覇とのエピソード

249年、司馬懿がクーデターを起こし、夏侯覇が蜀へ亡命。

夏侯覇張嶷に会うと、

「あなたとは疎遠でしたが、私は旧知の人に対するように心を寄せています。どうか、この気持ちを知っていただきたい」と言った。

張嶷は、

「私はまだあなたのことをよく知らないし、あなたも私のことをよく理解しておられない。人を知るという大道は彼方にあるのに、どうして心を託すと仰せられるのか。願わくば、三年の後にこの言葉をいただけませんか」

と答えた。

当時の有識者はこれを高く評価したとあります。 しかし、私はこの部分が良く分かりません。張嶷の洗練された人柄を評価したものなのかな・・・?

三国時代の異民族に関するエピソードはこの本から拝借しました。 張嶷がかっこよく描かれているので、張嶷ファンは必見ですぞっ!