諸葛恪 part1 エピソード満載だけど、評価になってねえ!?
どうも!
諸葛菜です!
今日は、私の身内の(嘘)あまり可愛くない諸葛恪さんです。
あふれる才能…だったのか?
血統としては最高のキャラの一人です。 こんな彼がどんな活躍をしたのか。孔明死後までしか知らない読者さんは、とっても気になっているはず!
諸葛恪(203年 - 253年) 父:諸葛瑾 叔父:諸葛亮 親戚:諸葛誕
ウィキの冒頭をごらんいただきたい。
(抜粋) 若い頃から機知と才気に長け、その才能を発揮していた。一方で性格は父・諸葛瑾や叔父の諸葛亮とは正反対と言っても良く、思慮深いとは言えず、いい加減で、野心家であり、弁論でも他人をやりこめるのが得意であり、才能をひけらかすのが好きだった。
と、しょっぱなから、けちょんけちょん。
しかしながら、機知を持った才童でもあります。
演義第98回に登場。
エピソード1 諸葛瑾のロバ話
宴の最中に引き出された驢馬の額に、孫権が戯れて「諸葛子瑜」と書いた(諸葛瑾は面長であったとされる)ことがあった。一座の者は大笑いしたが、父を馬鹿にされて面白くない幼少の諸葛恪は、その驢馬の文字の下に「之驢」と書き加えた(諸葛瑾の驢馬という意味にした)。孫権はじめ一座の者は、その機転の良さに舌を巻きその驢馬は諸葛瑾に与えられた。
エピソード2 張昭に酒をのませよう
ある宴席で、孫権が諸葛恪に、諸将に酒の酌をして回るよう命じた。 張昭の前に廻ったところ、張昭は飲もうとせず、
「そのように強いるのは老人をうやまう礼儀ではない」
と言った。孫権に、
「どうあっても張昭に飲ませてみよ」
と言われた彼は、張昭に向かっていった。
「むかし太公望呂尚は年90歳にして、なお軍に従って、ついぞ老いたなどとは申しませんでした。しかるに今日、出陣にあたっては先生を後に残し、酒宴にあたっては先生を前にすえます。老人をうやまわぬと言えましょうか」
張昭は答える言葉も無く、いやいやながら酒を飲んだのであった。
エピソード3 費イに言い返す
蜀の費イが孫権の元を訪れた。 饗宴を開いたが、あらかじめ群臣に「使者が到着してもそのまま食事をつづけて、立ってはならぬ」と命じておいた。 費イが到着すると孫権は食事を止めたが、群臣は止めない。費イがからかっていった。
「鳳凰が翔け来ると麒麟は食事を止めたが、無知な騾馬は俯いて食事をしたままだ」
諸葛恪はすぐさま言い返す。
「きりを植えて鳳凰を待っていたら、思いきや、燕雀の類が飛んできて、鳳凰が翔けり来たったと言おうとは。弾き弓で射て故巣に追い返さずばなるまい」
エピソード4 また張昭とからむ
宮殿に飛来した頭の白い鳥の名を孫権に問われた諸葛恪が、白頭翁という名の鳥だと答えた。同席していた張昭は、諸葛恪が白髪頭の自分を当てこすっているのかと勘違いし、
「そんな名の鳥を聞いたことはありません。もし嘘をついていないのなら、対になるべき白頭母という鳥もいるはずで、諸葛恪に探させては如何か」
と言う。 諸葛恪は、
「鸚母(オウム)という名の鳥はいますが、これと対をなす名の鳥がいるとは限りません。もしいるならば輔呉将軍(張昭)に鸚父を探し出していただきたい」
と応じ、張昭は答えに詰まり、席にあった者たちはわらいさざめた。
※エピソード3、4はもう一つの『三國志』 ―「演義が語らない異民族との戦い―参照
確かに、こんなに早く切り返しができるのは頭のいい証拠。 でも、このエピソードを見ても、あまりすげえ!と思わないのは自分だけか・・・。 大人にとって「ああ言えば、こう言う」小憎らしい少年というイメージですな・・・。
それにしても、張昭いじられすぎだ!(´_`。) 才は抜群のようですが、いろいろな人からダメだしを喰らっていますな。
(ウィキより抜粋) 諸葛瑾は常に「息子は頭が良過ぎる。家を栄えさせるのもこの子なら、潰すのもまたこの子だろう」と嘆いていた。諸葛亮も陸遜に宛てた書状の中でわざわざ「恪は大雑把でいい加減なので兵糧管理などは向かない」と判じて注意し、更に陸遜も彼をつかまえて「その人を人と思わない性格をどうにかしろ」と窘めている。
そんな諸葛恪ですが、諸葛瑾、陸遜の没後は、呉を支える中心人物となります。 今回はエピソード紹介で終わってしまった(汗)!
諸葛恪の戦ぶりは如何!?それは次回でっ!