楽綝(楽チン) 楽進の息子 剛毅な武将の最後

どうも! 諸葛菜です! 今回は泣く子も黙る剛将楽綝(ガクチン)の登場だ!

楽綝(生年不詳-257年) 父 楽進 友 張虎 楽綝といったら超有名!・・・じゃないですか? 楽進の息子ですよ! 2世タレントのわりには、なかなかの働きをしました。 蜀の孔明が北伐。楽綝は張遼の息子張虎と、司馬懿に随い蜀軍と激闘を演じました。はめられ役、やられ役、驚き役・・・でしたが、孔明相手ではしかたない。

さて、孔明死後の演義106回以降の活躍は如何? 身の程知らずの公孫淵が燕王を自称。 司馬懿は精兵4万を引きつれ討伐に。 楽綝もこれに随い出兵。公孫淵軍の先鋒楊祚、卑衍を相手に大暴れ。 孔明相手に戦ってきた連中ですから、公孫淵軍など相手になりません。 これを屠ります。

次の登場は第111回。 しばらくぶりの登場かと思いきや・・・楽綝に不幸が訪れる・・・。この頃、司馬昭が洛陽にて専横を極め、天子などあってなきが如く振舞っていた。

司馬昭が政権をとったものの、諸侯は不満を持っているかもしれないので、それを探るべく、賈充が淮南の諸葛誕を訪問。酒宴の最中に、天子の悪口を賈充が言えば、諸葛誕は天子にもしものことがあれば、一命を投じて助ける。と回答。

これに怒った司馬昭が、諸葛誕を司空にのぼせ、洛陽に召し出して殺そうとたくらみます。同時に楽綝にも密書を渡していました。

この密書の内容はわかりませんが、諸葛誕は、賈充が先日の件を司馬昭に告げ口したと判断。

楽綝への使者を捕らえて、拷問にかけます。楽綝も司馬昭とグルだと知った諸葛誕は、1000人の兵を率い、楽綝のいる揚州へ向かいます。 楽綝はこれを察知したのか、門を閉じ、つり橋を引き上げていました。

諸葛誕の出て来いコールも無視。 このまま城内でアストロン状態か・・・? 相手は1000人の兵を随えた諸葛誕。 密書に関して、特に言い訳が無いのだったら、弓兵位は壁の上にスタンバイさせた方が良いと思うんだが・・・。 怒った諸葛誕は、10余騎の猛将に城壁をよじ登らせ、兵士たちを追い散らします。

それにしても・・・どんだけ強いんだ!たった十数人で門をこじ開けるとは・・・。 曾宣、将班、焦イもこの中に入っているのかな? それとも、例によって羅漢中お気に入りの屈強の者共なのか? むむむ・・・。凄く気になるところだ! 楽綝の館に、諸葛誕の強兵が殺到。 楽綝は慌てて楼上へ避難。三( ゚Д゚) 言葉を返す暇もなく、諸葛誕にばっさりと斬り捨てられてしまいました・・・。

名将楽進の子、楽綝。 最後は死に花を咲かせられませんでした・・・。

ちょっと合点がいかないですよね・・・。 門は閉めて、つり橋も上げてあるのに、城内は迎撃準備ゼロってどういうことなんだろう。楼上へ逃げたら、それこそ逃げられないのに。 相当パニクってましたね。

諸葛誕の仲間になったら、流れはちょっとは変わったかも。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ 名将楽進の子楽綝が諸葛誕とともに、司馬昭に対し挙兵した報は諸侯へ雷撃のような速さで伝わった。

許儀「なにい!?楽綝殿が義軍をあげただとう!?わが父許チョも曹家から大恩を受けた身・・・呼応しようぞ!」

張虎「フッ・・・。楽綝め・・・一人では死なせんぞ・・・」

楽綝・諸葛誕挙兵の報を聞いた諸侯が、雲霞の如く結集・・・! 司馬昭は急ぎ迎撃の策を協議し始める・・・!

と、魂の震えるような展開になっていた!・・・はず。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ ありがとう!楽綝!