劉諶 劉備の孫、蜀の悲運の皇子

どうも!

諸葛菜ですっ!

マニアの間ではおなじみの劉諶です!

劉諶(生年不詳-263年) 祖父:劉備 父:劉禅

蜀軍の疲弊、厭戦気分、蜀朝廷の腐敗に目をつけた司馬昭は蜀討伐軍を起こす。 鐘会が剣閣へ、鄧艾は綿竹関へ。綿竹が落ち、さすがの腐臭をぶっ放している劉禅も慌て始めます。百官を集めて、今後の方針について協議。

「降服か抗戦」の議論よりも、どのように降服するか、どう逃げるかにスポットが当てられており、三国志前半部分しかしらない読者なら嫌気がする雰囲気の中で議論は白熱。

そんな折、ひらりと衝立のかげから躍り出た一人のものが声を励まし、(原文ママ

「死に際を知らぬ腐れ儒者なぞ国家の大事に口出しするな!!古来、降参した天子がどこにあったか!」

これぞ北地王劉諶である。 かっこいいぞ劉諶!

でも・・・ちょっとまて・・・衝立の影からって、あなたこの会議のメンバーに入っていなかったのかい!?

華麗なるっオブザーバーだぜ・・・っ! もうやめようぜ、降参しようという劉禅に対し、劉諶、

「(中略)成都にはなお数万の軍勢があり、姜維の軍勢もまるまる剣閣に残っておりますゆえ、(中略)かくて内外から攻め立てますれば、敵勢など粉微塵とすることができまする。腐れ儒者風情(中略)先帝のご遺業を棄てられることはないと存じまする」

蜀の民にとっては降服を受け入れることのほうが現実的。

しかし、蜀ファンとしては劉諶の意見に同意してしまいます。 劉禅は激怒。

横山光輝三国志では、劉諶が劉禅に訴えたとき、泣きながら、劉備三兄弟、孔明趙雲の姿を回想してくれました。桃園の義~孔明の死までを凝縮してくれました。

劉諶は頭に地を打ちつけ、

「城を背にして戦い国家のために死んでこそはじめて先帝に合わす顔ができる。降参する法がございましょうや。」

と劉諶は食い下がります。 劉禅は一切聞き入れない。「死んだほうがまし」と劉諶は吐き捨て、その場から追い出されます。 かくて、蜀は降服。 劉諶は妻子を殺し、照烈帝の廟の前で自尽。涙が枯れ、血の涙がでたそうな・・・。

妻子を殺したのは現代から見ると異常だけど、おじいちゃん思いのよい孫じゃ・・・。 劉諶が長男でなく、前線にいなかったのが惜しい。綿竹あたりで諸葛センたちと一緒に戦って欲しかった。

やはり、腐れ宦官黄コウにいいように牛耳られていたので、常日頃から発言権がなかったのか。

誰か、三国志IFでも作って面白いストーリー作って欲しいですね。もしくは三國無双のイチストーリーとしてシナリオを作って欲しい。蜀の首都成都で反乱を起こすとか、何故か閻宇と合流して鄧艾軍を挟み撃ちにするとか…。