趙広 趙雲の次男 三国志演義には書かれていないけど、実は戦死していました。

どうも!

諸葛菜です!

関羽張飛の息子は諸葛武侯在世のおりにも、最前線で大活躍。その奮闘ぶりは、趙雲ですら感嘆したもの。

顔グラはこちらヽ(`Д´)ノ

http://baike.baidu.com/view/225498.htm では、趙雲の子どもたちはどうだったのでしょうか。 演義では、兄の趙統とともに趙雲が亡くなったことを孔明に伝えた・・・だけです。

zhaoyun

父、趙雲

 

しかし、彼は姜維とともに魏軍と戦っていたのです。

 

沓中の戦いって奴ですね。 蜀漢末期、姜維は負けたり勝ったりしていたが・・・基本負け多し。 蜀漢劉禅陳祗が死去してからといもの廖化張翼ら将軍クラスでさえ、更に朝政に関与していた諸葛瞻でさえ姜維の度重なる北伐に反対をしていた。朝堂では姜維の代わりに閻宇を大将軍にしようという声すら上がっていた。

また、姜維が参内し「黄皓を殺すべし」と進言された時は、劉禅は恐れおののいた。

  • 度重なる北伐。国力の低下。
  • 人民の疲弊。蔓延する厭戦気分。

これではまともに戦う人たちもいなくなるのも当たり前です。 もっと早いうちにゲキ正先生のおっしゃったように屯田し、食料を蓄え、人民にまっとうな生活をさせないと国が足元から崩れます。

 

三国志ゲームをやっているとこれに似た状況に陥ることがあります。 慣れない三国志新シリーズを購入。三国志通なので、有名武将でスタートするのは当たり前過ぎて面白くない。旧シリーズから愛着のあった弱小武将(弱小国)でスタート。シナリオ1の公孫瓚で始めたものの、袁術にボコられ、北平の国力が低下。

度重なる袁紹軍の攻撃。こちらも態勢を整えるために徴兵を繰り返す…。 人口の減少、年貢の減少、人心が荒む、田畑も荒れる。気が付くと人口が5桁台へと転落。

三国志マニアでも新シリーズ三国志に慣れていないと、公孫瓚スタートではこんな憂き目に遭います。

この当時の蜀漢とほぼ同じ状態。

 

 

さて、

ウィキにある通り、263年に戦死とあることから、おそらく、蜀漢トウ艾・鐘会他牽弘等涼州軍団から攻め入られ、王手飛車・角取り状態の時でしょうね。

でも、蜀漢滅亡は264年だから、ちょっと早いか…。

姜維に従っていたということは、沓中に屯田していた時に魏軍との戦いがあったはず。264年の大戦の前哨戦のようなものがあり、そこで戦死したのかもしれません。