閻宇 黄皓におもねって重職ゲットの駄目武将?出落ちで片付けていいのかい?

さてと・・・ 今回は、蜀の大将軍候補、閻宇様のお出ましだっ!

 

閻宇(生没年不詳) 閻宇のウィキリンク

姜維に取って代われるもの…演義第115回を読んだ読者なら、一瞬隠れキャラ!?と思った人もいるのではないでしょうか?

連日の出兵、民の疲弊、不満、厭戦気分…蜀漢存亡の危機です!蜀の危機を救ってくれるのか…?その男は彗星の如く登場した!∑(゚Д゚) ・・・名まえだけ。。。

(原文) 時に右将軍閻宇といって、身に寸功もないのに、黄皓にへつらうことで重職にありついたものがあったが、姜維がキ山に出陣していると聞くと、黄皓をそそのかして後主に奏上させた。

姜維はたえて勝ったためしがござりませぬゆえ、閻宇に代わらせるがよろしゅうござります」by黄皓

もしや、姜維 が降格・・・と思っていたら数ページ後に、鄧艾はなかなかの智将なので、「閻宇大将軍の人事」はそのまま沙汰やみになったと、郤正 先生がおっしゃっておりました。

以上、演義での閻宇の活躍は終了。

 

閻宇は仕事熱心な漢?

閻宇が姜維と交代して、鄧艾にボコられるところを見てみたかったのは私だけでしょうか。…まあ、諸葛緒 あたりにやられていたかもしれませんけど。中国のサイトで『三国演義姜維禍を避くー』という挿絵入りの小説っぽいのがあり、ここでは、閻宇がプチ活躍。

yanyu 挿絵にあるように、魏の党均にわいろをもらった閻宇が黄皓と共謀して、姜維を陥れようとしています。現代中国でも閻宇はいまだにくそ野郎扱いされていて、三国志演義でも散々な「出てきただけ武将」に終わってしまいましたが、ウィキを読んでみると意外なキャラであったことがわかります。

馬忠・張表の後任として蜀南部の統治を行い、長年に亘って業績をあげ、職務に熱心であったとされるが、馬忠の風格・功績には及ばなかったとある」

馬忠は良将であったし、特に孔明の死後は現場武将として必要な人材でした。 その馬忠にかなわなかったとしても、閻宇なりに一生懸命に実務をこなしていたのです!

 

呉の大軍を前に、何故か西へと姿を消す…

また、呉から魏をけん制するよう求められ、5000の兵で太守の羅憲白帝城の守備に当たっていました。5000の兵で魏をけん制…冗談きついです。たった5000の兵で任地へ赴いた閻宇。危機感がないんだか、度胸が据わっているのかよく分かりません。

後に、魏が侵攻して来た際、閻宇は3000の兵を引き連れ西へ引き返して、羅憲はたった2000の兵で守備にあたりました。成都ではなく、「西へ」と書かれているのが腑に落ちないと思っていたら、その後の消息は不明ということなので、下手すりゃ失踪していたのかもしれませんね。

敵前逃亡とも言う・・・。

諸葛センらが「姜維降ろし」を画策していたのは残念ですが、その代わりとして閻宇の名まえがあがったのは、彼はやはりそこそこの評価はされていたのでしょう。

いや、もしかしたら彼なりに、かなり蜀漢の将来を憂いていたのかも・・・

 

・~・~・~・~・~・~・~ 蜀漢攻防戦。

鐘会の大軍が、南鄭関 、漢中、楽城、漢城、陽安関を破り、蜀中枢部へ迫りつつあった。 胡済 、王含、蒋斌 は軍勢を引き連れて、右将軍閻宇が守備する砦まで、やむなく撤退した。

閻宇は言わずと知れた「反姜維派」。 王含らにとって、まさに「やむなく」閻宇の元へ撤退したのだ。

閻宇「要するに皆さん全員負けたということですか。ふ~~ん・・・」

両腕を組み、いすに反り返り蔑んだ目つきで王含らを見つめて言った。

閻宇「東呉の大将たちが街頭の喧嘩で負けるというのはよくある話でありますが・・・ よもや蜀の次代の五虎大将軍が一般のおぼっちゃま武将と似たりよったりとは・・・。ははっ」

間髪いれずに続いたこの一言に、胡済ら三名は返す言葉もない。

閻宇「いかなる評価、いかなる賞賛を得ようが、喧嘩で勝てない武将など・・・無価値であると言えます」

王含 「わかりきったことをクドクドと・・・!」

顔面に包帯をぐるぐる巻きに巻いた王含 が、閻宇の華奢な身体をつかみあげる。傅僉が戦死。蒋舒 は投降。そして胡済・王含・蒋斌らは退却。閻宇の言う言葉はもっともであった。それゆえに王含は屈辱を感じ耐えられなかったのだ。

「は・・・離せぇぇぇぇぇ、貴様ぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」

閻宇は、子供が駄々をこねるように、こぶしを固めてピシパシと王含の頬を殴りつける。

「私が一番悲しんでるんですッッ!!あなたより・・・あなた方より・・・誰よりもッッ!!次代の五虎大将軍を誰よりも信じていたのはこの私ですッッ!!傅僉を・・・蒋舒を・・・王含を・・・蒋斌を・・・胡済をッッ!!誰よりも信じていたのがこの私ですッッ!!あなた方に・・・私の無念さがわかりますかッッ!!」

閻宇は涙を流し、王含は両手を離した。

「閻宇さんが・・・正しいよ」

先ほどの閻宇の発言を認める胡済。 衆寡敵せず、胡済らは軍をまとめて魏へ投降。

しかし、そこに閻宇の姿はなかった。

そう、かれは旅立ったのだ。新たなる戦いを求めて・・・。

そして、伝説へ・・・

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演義では駄目武将の一人でしたので、この記事でも黄皓と同様に蜀を滅ぼしたアホ武将として取り上げようとしましたが、意外な働きぶりがあったため、こんな記事になってしまいました。