師纂(サン) 智謀はないけど鄧艾親子をサポートする手堅い凡庸キャラ!

どうも! 諸葛菜です!

司馬昭の懐刀に鐘会あり。 鄧艾の懐には、師簒様だあ!

っておおげさっスカ?

師簒(生年不詳―264年)

鄧艾と姜維が戦うときに、ちょくちょく出てくるのが師簒。 演義では第111回から登場します。

蜀の軍勢を追い返し、出世できて…ない?

姜維が北伐を開始。王経、陳泰を蹴散らし、トウ水の戦いでは圧勝します。

魏軍が敗戦に落ち込んでいると、鄧艾将軍が援軍に到着。鄧艾が打倒姜維の策を陳泰に伝えます。

段谷に兵を伏せ、姜維の軍を蹴散らそうと計画。 命を受けた師簒、息子の鄧忠が各々5千騎を率い伏兵。

蜀軍は武城山に陣地を取ろうとしますが、鄧艾のいやらしい防戦により、にっちもさっちもいかず、やむなく上ケイという場所まで移動しようとします。

通過点はもちろん手ぐすね引いて待っている師簒たちが伏兵している段谷。

師簒、鄧艾親子、陳泰の連携プレイで姜維軍をフルぼっこ!先鋒師簒、グッジョブです! 結果、蜀は全軍退却のやむなきに。 司馬昭は勅使を遣わし、鄧艾に爵位印綬を与え、息子の鄧忠も亭侯に封じられた。

鄧忠(トウチュウ) 姜維を追い込む若武者っ!牛飼いの息子だからってなめんなよっ!

おや?

師簒は?(^^ゞ

 

鄧忠と組んで蜀軍を潰乱

続いて第113回。

蜀の姜維が北上。 キ山の谷に陣を構え、鄧艾はキ山に陣を張ります。

この戦いは、王含、蒋斌を参照。

王含・蒋斌 精一杯蜀を守りました。

陣取りの済んでいない蜀軍左翼の王含・蒋斌の陣を、師簒と鄧忠が奇襲! 王含蒋斌を蹴散らし、蜀軍を壊乱。

翌日、姜維と鄧艾はお互いの陣立てをくらべっこ。 八陣の法とか、ぐちゃぐちゃやっている間、師簒は・・・。

「おい!師簒、右に動け!ばかっ!違っ!それは左だ!だから、右っ、箸持つ方だよ!」

と、大忙し(嘘)。

 

智謀がない漢

第115回

蜀の衰亡が天体にも現れ始めましたが、姜維は北伐を強行。 この戦いで夏侯覇を失います。 蜀軍は姜維と鄧艾が戦っている間、廖化をキ山にやってそこを奪い取ろうと画策します。 鄧艾が奮闘し、蜀軍を押さえつけますが、蜀軍は一向に退こうとしません。

ひどく奇妙に思った鄧艾は、

「(中略)兵を分けてキ山を襲わせようとしているに違いない。かしこに残っている師簒は、無勢のうえに智謀もないから、手もなく破られてしまうであろう。わしがじきじき加勢にゆかねばなるまい。」

と、味方の師簒をさらりと辛口評価。

敵に馬鹿呼ばわりされるよりも、身内に馬鹿扱いされる方が100倍つらいです。 敵に言われたら言い返せるけど、身内に言い返せないしね・・・(・Θ・)

ホウ素のときもそうだけど、コメントが辛いな~鄧艾のだんな! 鄧艾の側近も、ドン引きしたはず。

「あいつ、そんな馬鹿なの?」

みたいな・・・。

さて、 無勢で智謀無し呼ばわりされた師簒は廖化に蹴散らされ、もはや・・・という時に鄧艾が乱入。

無事、生還。(;´▽`A`` 馬鹿呼ばわりしても、面倒見は最高だぜ!鄧艾のだんな!

槍働きは任せろっ!

諸葛孔明の息子諸葛瞻と対戦!

鄧艾と鐘会の確執が生じ、鄧艾は陰平を越えて成都に侵入を企てる。 鄧艾親子、師簒2000人の兵士は、無事摩天嶺を越え、江油城を降参させ、綿竹関へ迫ります。 対するは諸葛亮孔明の息子、諸葛セン。 孔明そっくりの人を四輪車に乗せ、魏軍と戦います。

それを見た、師簒・鄧忠は、 「孔明は生きていたのか!われわれもこれで終わりだ!」

↑いや、早いって(^▽^;) と、ほとんど戦わずに遁走しちゃいます。

若い鄧忠ともかく、分別のあるベテランまで同じ反応じゃいかんと思うよ・・・。

鄧艾はこの二人の失態を聞いて激怒。そりゃそうだ・・・。 軍法に正すと言って処刑しようとしますが、諸将がこもごもとりなし落着。

再度、師簒は突撃しますが、また負けて帰ってくる。

「そう負けてばかりいる大将なぞ(略)」

朱異の二の舞か?

とはなりませんでした・・・。 手傷を負っていたので、何とか許されました。今回は戦ったので。

 

蜀制圧後…上司たちが護送される中、彼は無事だったのか?

鄧艾は綿竹関を制圧、成都も降服させますが、鐘会の謀反により、親子共々囚人車にぶち込まれてしまいます。

師簒はこのときいったいどこに!? 師簒のその後について、諸説ありますが、

「師簒も多分一緒に殺されていただろう」

というのが大半の説のようです・・・。

むむむ。。。

<追記>

2012年8月2日の鄧忠part2の記事で、言羽さんから師纂のその後についてコメントをいただきました。

まず、師纂ですが鄧艾や鄧忠と一緒の場所にてやっぱり田続に殺されています。ですが鄧艾や鄧忠とは違って彼は別に拘束はされていません。それどころか鄧艾や鄧忠を裏切って、

師纂「鍾会殿や衛カンの言う通り、鄧艾と鄧忠は危ない奴等ですからさっさと逮捕しましょう。」と言ってます。間違いなく以前鄧艾に処刑されかけた事に恨みを持ってます。

そして鍾会が斬られた時、彼は鄧艾や鄧忠に殺されると思ったからこそ鄧艾や鄧忠の元に向かい田続と一緒に殺そうとしたと思われます。ただ田続からはかなり恨みを買っていたみたいです。

鄧艾、鄧忠が始末された後に師纂も田続に殺されました。彼の死体には傷が無いところは無い位にズタズタに斬り殺されたと言われています。元から兵士からの受けもかなり悪くいつも師纂の野郎、死ねばいいのにと思われていたらしいです。

師纂めが・・・、戦では鄧艾に助けられていたのに、裏切っていたとは。

師纂は人格的な問題もありそうです(汗)。

言羽さん、どうもありがとうございました。