孫休 呉の皇帝。意外にもタヌキな面もありしたたか皇帝!孫チン兄弟を大掃除!

どうも!

諸葛菜です!

久々の皇帝キャラですね。孫休。 三国志演義後半をサラッと読んだだけでも、記憶に残っているキャラだと思います。

孫休は孫魯育の息子。孫魯育は孫魯班の妹です。 孫魯班、孫魯育と言うと、二宮の変を思い出しますので、割愛して・・・演義での話をしましょうか。

ゴロツキ丞相孫綝を絡め取る!

演義での登場回は第113回。

孫チンが孫亮廃帝とし、「俺様が有徳の者を選んでやる!」と宣言して選んだのが孫休。

孫休、字は子烈。孫権の六男。 孫休は再三辞退したが、帝位につきました。まあ、この辺は中国にありがちな変な遠慮というか体面ですね。

帝位についてからは、孫ちんを丞相、孫ちん一門はいずれも禁軍を領し、その威勢は天子をしのぐものがありました。

しかし、孫休は孫チンのするがままにさせておき、泳がせておきました。孫ちんに対して不満はありましたが、孫亮のように真っ向から戦おうとするのではなく、適当に調子に乗らせておいて、がぶりと喉笛を掻っ切ろうとするしたたかさがありました。

散々泳がせておいて、孫ちんから新年の祝いである酒・肉が届けられたが、受け取り拒否。

気性の荒い孫ちんが反乱を企てることも視野に入れての挑発です。案の定、孫ちんは孫拠・孫恩・孫幹・孫闓(ソンカイ)に武装させ、武昌に軍勢を整え謀反の準備を整えます。演義ではこの報告を受けた孫休は仰天していますが、この仰天ぶりも演技ではないかと・・・。

孫休は張布と相談して、孫ちんらを召し捕る計画をたてました。

張布が言うには老将丁奉に任せれば、万事うまくいくと太鼓判を押しました。

「臣に国賊を除く計画あり」

と、丁奉も自信満々です。

正月の祝いの席におびき出して、孫ちんを捕殺。 また、軍勢を率いて孫ちん兄弟らを捉えることにしました。

暗殺、不意打ちなどの過激なことは自分からは言わず、「朕は困っている。皆の者、なにか良い意見はないか?」と、部下に発言を促す孫休。なかなかです。

 

孫ちん退治の妄想

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酒宴におびき出して、孫ちんを捕縛。丁奉、魏邈(ギバク) 施朔(シサク) らも孫ちん兄弟をしょっぴいてきた。

「交州で百姓をやらせてください」

命乞いをする孫ちん。

「それでは、なぜ滕胤、呂拠、王敦もそうしてやらなかったのですか?」

孫ちんは二の句を継げない。

孫休は冷酷な眼差しで、自分の親戚である孫ちんを見下ろしていた。その傍らには孫休の学問の師盛沖と韋昭が侍っていた。

縛られた孫ちんは泣きわめきながら、頭を床に打ち付け、命乞いを繰り返している。孫休は一瞬顔を歪め、パンパンと拍手をして言った。

「あれを持て」

すぐに宦官がツボを持って来た。

「あれは・・・松明に使う灯油っ!?一体何をっ!?」

師である盛沖は緊張した。丁奉、魏バクらもこれから何が起こるのか不安な表情だ。ついさっきまでは宴もたけなわな宴会会場だったのに…。

「灯油はお好きですか?」

孫休が呟いた。何を言っているのか孫ちんも丁奉たちもわからなかった。

(こいつ・・・俺が皇帝に推してやった頃とは、まるで別人っ!??)

孫ちんは孫休の鋭くなった眼光を見てそう思った。孫休はそれに答えるかのように、孫ちんへ向かって微笑んだ。

「わかってなかった・・・僕は・・・皇帝だけど・・・覇王ではなかった・・・あなたは、それを僕に教えてくれました・・・。ありがとう、お礼を言いたいです」

言うやいなや、手に持っていたツボの中身を孫ちんに向かってぶちまけた。

「ひいいいいいっ!」

慌てふためく孫ちん。孫休は孫ちんに背を向け、盛沖の方へ視線を向けた。孫休は懐中から火打ち石を取り出し、微笑し言った。

「もし、僕がここであなたに火をつけたら・・・立派な皇帝になんかはなれませんよね」

盛沖が知る限り、孫休の最高の笑顔だ。孫休はくるりと体の向きを変え、孫ちんを見下ろした。

「そして、俺は…まっとうな皇帝になる気なんざ、さらさらねえっ!!!」

着火。

会場内に響き渡る孫ちんの悲鳴、そして、異臭。周囲の者たちは吐いたり、昏倒したりしている。

「俺は間違っているかい?盛沖・・・」

地面をのたうち回る孫ちんを見て言った。張布は言う、

「謀略の本懐は鮮やかに敵をしとめることじゃねェ」 「たとえみっともなくとも勝つことが肝心だ」

孫休は盛沖、韋昭の方へ向き直り言った。

「実は…この件について…僕の新しい師匠が絡みたがっていましてね」

「新しい…師匠?」

盛沖、韋昭は互いに顔を見合わせた。人だかりの中から、恰幅のいい男が現れた。

「オメエは・・・っ!濮陽興(ボクヨウコウ)!」

こんな男を師匠にするとは・・・盛沖は胸くそが悪くなった。

「こいつが、孫休様の新しい御師匠さんですか・・・?」

「そう嫌な顔をしないでください…ボクヨウコウは智謀、思考法が孫家流なんですよ。むしろ実践的と言っていい。盛沖先生、韋昭先生…仕事ぶりはあんたたちよりも上だっ!」

言われてうつむく盛沖。確かに自分は学問しか教えていない。謀略、政略などの実践的な知識はそれほど持ち合わせていない。

「で・・・、どうするよ?このバーベキュー?」

孫休は黒焦げになった孫ちんを一瞥し、丁奉に向かって聞いた。

『ひどい・・・自分で点けておいて・・・』

あまりの非道に声もでない丁奉。拘束していた縄が燃え尽きたため、孫ちんは白目をむいて立ち上がり、孫休めがけて突っ込んだ。

その瞬間、濮陽興は居合い抜きで孫ちんの首を刎ねた。 かくて、孫ちん一派を誅滅したのであった。

参考:「バキ」ドリアンVS愚地克己

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部下の名誉回復、蜀へも牽制

その後、諸葛恪、滕胤らの名誉回復のために、墓を立てました。孫ちん、孫峻から孫氏を剥奪し、胡ちん、胡峻と呼ばせるようにしたそうです。なんだか、姓が胡の人たちがかわいそうな気もしますが・・・(汗)。

孫ちん誅戮の報を蜀皇帝劉禅にも伝えました。

「ともに魏の司馬昭に備えよう」と。

こうやって北伐ボーイの姜維を煽りたて、魏の視線を蜀に向けさせる孫休、やり手ですね。

教育熱心。黒いことも白いこともやってきた皇帝

孫休は、教育にも熱心で、詔を発して教育を重視するよう努め、学問を好むものを選抜して五経博士を設けました。

また、武より文を重視し、農耕を盛んにしました。干拓事業を押し進めましたが、無謀な建築に多くの役人が反対。反対を押し切り無理やり推し進めたのが濮陽興らしいです。

孫亮が孫休を恨んでおり、巫女に祈祷をさせ、呪いの言葉を発している。という内部告発があり、さらに「孫亮が皇帝になろうとしている」という噂も流れたため、孫休は孫亮の官を降格させ、左遷したが、途中で孫亮は自殺。一説には孫休が毒殺したとも言われています。

いいこともしています。 孫休は国の各地の風俗を調査させて、役人・将軍が清潔な政治を行っているか、民衆が何に苦しんでいるかなどを調べました。それに基づいて地方の役人の昇進・左遷を命じる詔を下しました。

中国では今も昔も「上に政策あれば下に対策あり」、地方から腐敗臭を発しますからな。 孫休の対応は現代中国にも通じます。

蜀滅亡後、崩御

蜀漢が滅亡寸前の時、諸葛瞻からの使者彭和から援軍の依頼を受け、丁奉、丁封、孫異 に救援を命じました。

しかし、蜀漢滅亡後、旧蜀の土地を狙い陸抗らに攻めさせましたが、羅憲の活躍により撃退されました。

演義第120回で孫休崩御。 太子の孫ワンを指さしながら死にました。 ダメダメ皇帝なんかでは決してなかったし、国を良くしようという意志がしっかりしていた方だったなあ~と感じました。