荀愷 兵士だからってなめるなよほ~!魏の出世頭です。

どうも! 諸葛菜です!

盧遜を屠った男、魏の兵士荀愷をご紹介。

さわやか伍長のお出ましだ!(^∇^) 荀愷(240年-305年)

参考記事:

蜀が衰退したと踏んだ司馬昭は、出兵を決意。鄧艾、鐘会ら20万以上の兵を挙げて南下。鐘会率いる軍勢は南鄭関に到着。許儀を先鋒にして、南鄭関に当てるも、蜀の守将盧遜が連弩を使用し、許儀を追い払う。

鐘会自らが出陣し、南鄭関を攻める。

荀愷は、鐘会の近衛兵だったのか、たまたまそばにいた一般兵士だったのか。それは解りません。

鐘会の馬が、足をとられて前のめりに、危うく落馬しそうなところを、蜀の架空武将盧遜の槍が襲う!あわや!というところで、荀愷が振り向きざまに弓を発射!

盧遜を射倒しました。 一兵士が武将を屠る。ラッキーな感じもあるものの、三国志ではまれな展開。関羽華雄将軍を討ち取ったほどの衝撃があったはず!(゚Д゚)この戦に参戦していた魏軍のモブ武将夏侯咸、王買、皇甫闓(カイ)らも、

「なんと!?」

「うっ?」

「はわわわ・・・」

と思わず唸ったでしょう! この功績により、荀愷は護軍に昇進。更に、鐘会から鞍つきの馬と鎧兜を恩賞として、賜りました。 かたや、刑場の露と消えた許儀・・・。

荀愷は漢城にかかります。蜀の漢城を守るのは蔣斌。守備兵は5000人いたらしいですね。この戦いの様子は描かれていません。

荀愷が城壁を素手でよじ登り、落ちてくる石を拳一つで破壊し、門兵相手に無双、これに参った蔣斌が城を明け渡す。

このブログの読者さんなら、想像力たくましゅうして、この程度は妄想できたはず!!(゚Д゚) 荀愷を中国語のサイトで調べてみました。

(邦訳)

性格:風流で粋!かっこよくて洒落てる。(←どこからの情報なんだ…)

妻:司馬炎公主 荀愷、字は子挙。頴川頴陰の人。魏の太尉荀彧の曾孫。鐘会の蜀討伐に随行。度々妙計を現す。鐘会はこれを奇とし、西晋建国後侍中に封じられる。鎮軍大将軍となり、呉の討伐に加わり、張象の水軍を撃破する。南陽侯となる。291年司馬炎崩御、晋の恵帝は荀愷に加封し南陽公となる。八王の乱の時東海王司馬越を補佐し、八王の乱終結前に病死。65歳で没す。

荀愷と似た名前で荀顗と言う者がいます。これは荀彧の第6子ですね。中国語のサイトだと、荀愷と荀顗がごっちゃになっているのがあって混乱しました(笑)。

もし、これが本当なら荀愷はシンデレラボーイですね!司馬炎の娘までもらっているし。

荀彧の曾孫ってありますけど・・・そんな人材が一般兵士又は近衛兵だったのでしょうか?不思議です。 翻訳しておいてなんですが、中国語サイトだとイマイチ信憑性が・・・。もしかしたら、荀彧の曾孫の荀愷と兵士荀愷は同姓同名の他人なのではと疑ってしまいました。

御存じの方いらしたら、ご一報くださいませ。