陳祗 外は姜維を助け、内は蜀宮を守り立てた男!

どうも! 諸葛菜です。

今回は陳祗です。

[caption id="attachment_1908" align="aligncenter" width="480"] リンク元每日頭條[/caption]

 

陳祗についての情報は、常連の言羽さんからいただきました!演義に出てこなかった名将羅憲を発見した時のような新鮮さです。

言羽さん、ありがとうございます!(^_^)v

言羽さんのコメントの前に、陳祗の手抜き概要。

  • 陳祗は董允の後を継いで侍中になりました。
  • 多芸で天文・暦・占術などを修得し、費褘(ヒイ)からの評価も高かったのです。
  • 姜維を指示し、宮中もうまくまとめた。
  • 黄皓とも仲が良かったのですが、仕事が出来る人というイメージです。

さあ、言羽さんのコメントでこの記事を完成させてしまいしょう!o(^-^)o 言羽さんのコメントより抜粋

この陳祗は演義は勿論正史も他人の列伝でしか語られない大臣ですが彼亡くなった時に劉禅が涙を流して

劉禅「君が死んだら蜀には未来が無いじゃないか!!(これを聞いたら劉禅はもう姜維には期待してない証拠ですね。)」

と言って悲しんだ人物です。

ちなみに劉禅が涙を流して悲しんだ人物は記録上は諸葛亮と陳祗のみ、要は二人以外は期待なんか最初からしてなかったのかも知れません。

さて、この陳祗は黄皓と仲が良かった一方、姜維にもかなり友好的な人物でした。姜維の北伐にきちんと理解を示して後方支援や政治をしっかりこなしました。姜維が鄧艾にフルボッコにされた時は諸葛瞻や董蕨(とうけつ)、黄皓姜維批判を抑えながら姜維には激励したりしました。

しかし、陳祗は諸葛誕の乱の頃に病没しました。そして彼の死が黄皓の暴走。止むことの無い姜維批判に繋がっていきます。確かに劉禅が涙を流して悲しんだのがよく分かる人物ですね。

陳祗は幼い頃は許セイに育てられました。(許セイが陳祗のお母さんのお爺ちゃんの弟だった為。)若い頃から謙虚な性格ながら威厳に溢れており費褘(ヒイ) が陳祗を大絶賛し劉禅に推挙したと言われてます。彼が非難されるのは謙虚すぎて劉禅を甘やかせたのと黄皓に政治をさせた事を言われます。

ただ正直、劉禅に対しては元々謙虚な性格だから仕方がないと言えます。また黄皓についてもこの頃はかなりマトモなレベルだったりします。黄皓だって最初から暴走してはいません。……陳祗が苦労していたとも言えますが。

こんな謙虚な陳祗も姜維の北伐だけは譲りませんでした。

ショウ周「北伐は自重……」

陳祗「黙ってください。今、北伐をやることは我々の悲願です。寝言は寝て言ってくださいませ。腐れ儒者。」

こんな経緯で書かれたのがあの仇国論です。そして姜維からも腐れ儒者と言われてますねショウ周さん……恐らく姜維も神様、仏様、丞相様、陳祗殿と言って感謝していたのでしょう。

だからこそ陳祗の死によって目の当たりにした現実に唖然としたのでしょう。正直、蜀の朝廷で姜維を批判しなかったのは陳祗位でした。陳祗がいたから北伐もしっかり出来てました。 演義でも黄皓がでしゃばるのは諸葛誕の乱つまり陳祗死後以降です。つまり陳祗が蜀の最後の道しるべだったのでしょう。陳祗こそもっと評価されるべきでしょう。

余談ですが陳祗は三国志ゲームでは無双6にしかまだ登場してませんが長生きし成都攻略戦(晋ストーリーのラストバトル。)にまで参戦してます。そこには姜維の指揮下で弓兵を率いて最前線で待ち構え司馬昭の首を狙う黄皓という絶対有り得ない布陣で来ます。これが実現したら絶対面白いと思った理想的な蜀軍がありました。実際にこんなシーンが見てみたいと思ったのは内緒です。 言羽さん、情報提供ありがとうございました!!