陳祗 part2 姜維と黄皓、朝廷との調整役
どうも! 諸葛菜です!
今回は、読者さんの言羽さんからの陳祗に関するコメントを記事にしました。深い洞察、この時代の知識・・・言羽さん、本当に有難うございます!
さあ、陳祗、いってみよー!
言羽さんコメント抜粋。
まず、陳祗はよく反北伐派の人間と思われてます。黄皓と親しくて黄皓が政治に参加した事、劉禅を甘やかしすぎて董允を劉禅が恨んだ事、ホウ統の息子の出世を阻んだ事など、悪いエピソードが多いのが原因です。
しかし反北伐派というのは完全に誤りです。
ちゃんと理由もありまして、255年に朝廷で北伐についての話し合いがありましたが北伐に反対したのは張翼ただ一人であった事(反北伐派なら反対するはずです。)、段谷の戦いに負けたのに姜維の処分が軽すぎる事(反北伐派ならこれを使って姜維や胡済を斬首します。)、腐れ儒者との討論が仇国論のきっかけになった事(そもそも反北伐派なら討論する必要性が皆無です。)、姜維の排斥運動、姜維の黄皓殺害未遂が陳祗死後に起きた事(陳祗が生きてる間は何にも問題が無かったんです。)、姜維の批判が無い事、
そして三国志に陳祗が反北伐の発言が全く無い事があげられます。
では何故こうなったか、悪いのは陳寿にあります。陳寿は腐れ儒者の弟子です。
つまり腐れ儒者を尊敬してます。だからこそ腐れ儒者を批判した陳祗を列伝は作らない、悪い面ばかりの黄皓派のクズにしたと思われます。
姜維は恐らく晋に圧力をかけられた(姜維が強いとそれを倒した晋最強という事になるため。また陳寿が疑惑がかかる理由に昔陳祗に朝廷を追放されたと言われる為。)
Wikiと私の話では陳祗がかなり異なりますが北伐に関してはWikiの方があてになりません。
言羽さんありがとうございます!