孫綝 part1 面倒くさいことは全部部下任せっ!なんか文句ある!? 

どほもぉ~。 諸葛菜です。

最近呉の武将が少ないって?

う~ん確かに。 そんな呉のファンの読者に今日はとっておきを紹介するっす!

[caption id="attachment_1920" align="aligncenter" width="600"] 画像参照:百度孫綝[/caption]

 

「仕事したでえ~!」的な感じが腹立つっ!してないのにねえ・・・。

呉の大将軍孫チン様だ!

孫チン(231年-258年) 曽祖父:孫静 得意技:叱責、責任転嫁、だまし討ち、丸投げ

参考記事:

 

皇帝の親族として出陣っ…!!

祖父、父はさておき、孫静孫堅の弟、孫策孫権の叔父に当たります。横山光輝三国志でも、甥の孫策が江東の小覇王と呼ばれるまでサポートしていましたね。

さて、そんな曾祖父をもった孫チンはどんな人間なんでしょうか? 演義での初登場回は第111回。

「孫一族の血を引くくらいだから、それなりに上等な奴だろう」

と、自分が高校生のころ、ワクワクしたな~。 期待とは裏腹にとんでもない野郎でしたけどね。孫チンの紹介の2行目で早速その期待は裏切られました。丞相の孫俊が死亡し、従弟である孫チンが天子を補佐。

人となりは兇暴で、大臣らを次々と殺して大権を一手に収めていた。その専横ぶりは、呉帝の孫亮が困じ果てるほど。

一族の内輪もめの次第はウィキリンクに載っているので割愛。

VS魏軍 諸葛誕と共闘という格好の条件を活かせるか…?

諸葛誕が司馬昭の専横ぶりに腹を立て挙兵。息子の諸葛セイを呉に質に出して、援軍をもらうなど、カン丘倹さんとは違い用意周到。孫チンはこの願いを聞き入れ援軍を派兵。全エキ、全端を主将。于詮を後詰、朱異・唐咨を先鋒、文欽を案内役に出発侵攻!

司馬昭率いる精鋭部隊に対し、いかがな面子かと思うのですが、当時の呉としてはこんなもんだったのでしょう・・・。 三国志ゲームで、

「同盟国からの援軍を断ると友好度が下がってしまうので、しかたなく雑魚武将を派兵した」

ような布陣だなと思った読者も多いはずです。

戦局は最悪。先鋒の朱異、唐咨が魏の王基に蹴散らされ、50里も退く。しょっぱなから先鋒2名が蹴散らされるとは、やる気はどんだけ~?そりゃあ、総司令官が孫チンじゃあ、部下もやる気がでないわい。

困った孫チンは早速八つ当たり。先鋒の朱異を呼び出しつめます。

「たかが寿春ごときを救えぬようで、中原を踏み破ることができると思うか!二度と負けて帰ってくれば、生かしてはおかんぞ!」

孫チン様は相手の司馬昭がどんな知恵者か全くわかっておらぬご様子。朱異は優秀な軍人だったようですが、司馬昭には手玉に取られます。

朱異 朱桓の息子 優秀な将軍だけど性格に難あり?

部下を処刑するっ!

朱異が逃げ戻ってくると、

「そう負けてばかりおる大将なぞ、わしはいらぬ!」

 

斬首。

さらに、全褘(イ)に、

「もし魏の軍勢を追い返すことができなかったら、そなたたち父子は生きてわしの顔を見るなぞとは思うなよ!」

と、厳しく言い置いて、そのまま建業に帰ってしまった。(原文ママ) ゲゲェーーっ!? 丸投げぇっ!?

こんなクソ司令官、いてもいなくてもいいのでしょうが、敵軍にとっては得たりです。敵の総司令官がいなくなったことを知ったら、魏の兵士は沸き立つに決まっています。魏兵の士気高揚。

「孫チンが引き揚げて、外からの援軍がなくなりました。囲むがよろしゅうございます」

と鐘会が司馬昭にとどめの献策。

呉は惨敗。この戦の敗因は、明らかに「孫チンが戦場にいたから」と言っても過言ではありません。諸葛誕のフォローのつもりできたら、結構な犠牲を強いられたので、呉の将兵も予想外でしたでしょう。 朱異を処刑、その他の武将が降服。呉の惨敗を招いた孫チンの運命やいかに!?それは次回で!