王含・蒋斌 精一杯蜀を守りました。
どうも! 諸葛菜です。
三国志演義後半の蜀軍の武闘派といったら・・・
あ、王含と蒋斌を忘れてた!
王含(生没年不詳) 蒋斌(生年不詳- 264年) 父:蒋エン 弟:蒋顕
姜維軍の左翼として登場!
初登場回は演義第113回。
呉の時の皇帝孫休より、
「司馬昭が近日中に魏を奪うだろうから、お互いよく気をつけようね」
という国書を蜀へしたためた。
ただの社交辞令のはずなんですが、この知らせを受けた姜維は北伐強行のオーバーリアクション。
廖化・張翼を先鋒。 王含・蒋斌を左備え。 傅僉・蒋舒を右備え。 胡済を後詰。 姜維・夏侯覇が中軍。
・・・
おそらく、この時代なら蜀の最強と思われる布陣で繰り出します。 キ山を固めるのは鄧艾、鄧忠、師サン、鄭倫。
蜀軍が陣取りする場所を空け、陣中に通ずる坑道をあらかじめ掘っておき、蜀の陣中をかき乱してやろうと手ぐすね引いて待っていた。
まさか、左翼の王含・蒋斌に・・・?(・_・;) 確かにこの布陣を見ると、手の届きにくい後詰を除けば、王含・蒋斌が蜀軍の穴だというのは読者でもわかります。
キン肉マンで言うところのスペシャルマン&カナディアンマンタッグのような不安さです。
不意をつかれ潰乱!
陣取りも終わっていない左備えに鄧忠らが斬り込む。by穴掘り部隊
そら来た!((((((ノ゚⊿゚)ノ
王含・蒋斌は夜討ちに備えて鎧を着たまま寝ていました。goodjob!
王含・蒋斌は得物を取り、死に物狂いで戦い、姜維とともに慌てる兵士を制御。 公孫サンVS袁紹あたりから時々見られる穴掘り部隊。
これで戦局が動いてしまうのが、個人的になんとなくうっとうしい。
さて、こんな愚痴はさておき、王含・蒋斌は討ちもらされた兵をまとめ姜維に処罰を請いにまかりでます。
姜維はわしが地理に暗かったのがいけなかったと言って、二人は許されます。
ええ、姜維はすぐに部下に責任を丸投げするどっかの国のにわか丞相とは器が違います。
凡将としてそれなりの最後を迎える
次の登場回は第116回。
鐘会が南鄭関、陽安関をぶち破り、漢中も奪われてしまいます。 陽安関は傅僉が一生懸命守ったんですがね・・・これはまた後日記事にします。 楽城を守っていた王含、漢城の蒋斌も魏に城を明け渡してしまいました。
蜀の人材不足 荒武者、智謀を持った武将が少ないという弊害がもろに出ました。
王含、蒋斌はあまりに普通な武将だったのか。
魏の武将が強すぎるんスヨ! 鄧艾、鐘会など、姜維ですら手を焼く相手。 しかもそれらが、大将たちを引き連れてくるわけですから、王含・蒋斌でなくても厳しい。
それでも蜀には必要な武将でした。 王含・蒋斌お疲れ様でした!
PS 対する魏はこの間、猛将許チョの息子許儀をみせしめに斬首しています。 魏にはまだまだ人材にいるのか、許儀を惜しげもなく斬るあたり、そう感じます。