後三国演義って確か諸葛菜もゲットしたつもりだったけど…違うver.?

どうも!

諸葛菜です! ご無沙汰です。

ちょっと4ヶ月前のネットニュースですけど、三国志演義後半マニアだったら見落としてはいけない記事を見落としていましたよっ!

まずはこちらのガジェット通信の記事をご覧くだされ。

その名も『後三国志演義』!なぜか三国志演義の編者・羅貫中がボツにした?! ゲームでも大人気の中国の歴史小説三国志演義』。実はこれには、著者・羅貫中に消された幻の続編があったのをご存知だろうか。なんと、『三国志演義』ではあっさり滅亡した蜀漢が復活し、魏の跡を継いだ晋王朝を滅ぼすというものなのである。その名を、『後三国志演義』という。 え、それは『反三国志』『超三国志』じゃないのかって?!違うんですね。『反三国志』こと『反三国志演義』は、中華民国になってから周大荒が書いた小説で、話は赤壁の戦い直後から始まる歴史if小説である。ところが、『後三国志演義』は正史『晋書』を元にしたレッキとした明代の古典小説なのだ。 『三国志演義』は、元々盛り場で語られていた講談であった。講談をもとに、劇作家の羅貫中歴史小説にしたのが『三国志演義』なのだが、なぜか羅貫中は、講談の最後で「劉備の孫の劉淵が蜀を再興し晋と戦う」となっていた下りを削除してしまう。講談をまとめた『三国志平話』には、その下りがかなりのボリュームで書かれていたのにである! その、羅貫中が捨てたストーリーを復活させたのが明の万暦三十七年(西暦1609年)に、匿名の人(ペンネームは酉陽野史)が書いた、『後三国志演義』(別名:後三国演義三国志後伝)である。あらすじはこうだ… ー魏の侵略により、蜀が滅んだの時、皇帝劉禅は宦官・黄皓(こうこう)の差金で、蜀の五虎大将の末裔を閑職に追いやっておりました。劉禅の甥、劉淵(※注1)は劉一族の中でも「知恵袋」の異名がある武将。彼は蜀の名将の子孫たちと共に、魏軍の囲みを破って北へ脱出します。従う武将は… 劉封の子:劉霊 関羽の孫:関防、関謹 張飛の孫:張賓、張敬、張実 趙雲の孫:趙概、趙染,趙勒 黄忠の孫:黄臣、黄命 諸葛亮の孫・諸葛宣 魏延の息子たち:魏攸、魏晏、魏顥(※注2) 馬謖の子:馬寧 と言った面々。北へ逃れ、次第に勢力を拡大し、他の豪傑たちにも呼びかけ、御家再興の機会を探っておりました。幸い、蜀の姜維が劉一族の劉豹(りゅうひょう)という人を北方に派遣して、晋陽左国城(現・山西省太原市)というところで匈奴を治めさせていたので、劉淵たちも左国城へ落ち延びていきました。(※注1 劉淵劉備の次男・劉理の息子という設定。はじめは劉據[りゅうきょ、據の字は正しくは王へん]という名前で登場、蜀から左国城へ行く過程で改名する)(注2 後に、敵国・魏の名前を嫌い、父・魏延の字(文長)によっていずれも姓を「呼延」と改姓) ー魏は晋に乗っ取られ、晋は呉を滅ぼしました。 ー劉備の孫・劉淵は北方で立ち、晋軍と交戦します。蜀軍・晋軍は一進一退の攻防の末、蜀が次第に晋を圧倒、晋の主だった武将を打ちとった劉淵は漢王を称し、漢を再興します。 ー劉淵の子孫たちが晋を滅ぼし、天下は平和になりました。 という、中々、面白い話である。『反三国志演義』よりも無理がなく、実に面白い本だと思う。江戸・明治時代に『後三国志』として結構読まれ、明治時代には書き下し文の訳が出ているが、現代語訳がないのは不思議である。 実は、この劉備の孫・劉淵の話は大筋は正史『晋書』に登場するレッキとした史実なのである。ただし、劉淵は正史では「匈奴王の血筋を引く、劉備の甥」であり、前に上げた蜀の五虎大将の子孫たちも大半は実在するものの、蜀の武将との関係は正史『晋書』には書かれていない。 なぜ、羅貫中劉淵を消したのか? 羅貫中劉淵の存在そのものを抹殺してしまった理由は、劉淵が中国人とモンゴル人(匈奴人)のハーフで、純粋な中国人ではない為である。おまけに、「北へ逃げて、その後南下して晋を滅ぼした」という話が当時の社会情勢上許されない話だった。 羅貫中の頃の中国は、中国の本土はかろうじて明王朝が支配していたが、実は前の王朝の元王朝が北京を捨ててモンゴルに都を置き、モンゴルから満洲ウイグルまでを支配しており、実際には南北朝時代になっていた。 明王朝の皇帝は中華思想を徹底させ、「元王朝など存在しない。いいね。元の存在を口にしたものは皆殺しだ!」という恐怖政治を敷いていた。そんな中、元王朝を思わせる劉淵の存在は羅貫中に取って邪魔でしかなかったのではないか?羅貫中三国志演義の末尾で、繰り返し、「蜀漢は滅んだ」「蜀漢が滅んで晋に変わるのは天命だ。諸葛孔明も神になっていたがそれを認めた」と述べており、しきりに明王朝にゴマをすっている。あたかも、中国政府が尖閣諸島を中国領だと言い張るような、見苦しいこじつけをしているのだ。そのためにこの史実が埋もれ、正史『晋書』・『後三国志演義』いずれもマイナーな存在になっている。残念でならない。

参考元:http://getnews.jp/archives/572151

という訳で、羅貫中御大在世のみぎり、諸事情があったため三国志のその後については熱く語れなかったのですね。

今と変わらぬモラルの中華、今も昔も変わっていないなんて、シーラカンスのようなお国柄です。

o0350035013061349058 ふむ…確かに中国にあるようです

魏延の息子が3人も登場しているのも驚きだけど、劉封の息子、馬謖の子孫など、有名だけどちょっと性格的に何のあるやや小粒なキャラの子孫を拾ってくるとは、味な真似をしてくれますね。

極小数のツボを刺激してくれる人選です。

このブログで扱う演義後半には劉封はすでに他界しているので登場しませんが、諸葛菜個人としてはかなりお気に入りの武将です。

親父が蜀の君主となり、その正統な血を譲り受けた跡継ぎがいる中、不満や不安もあったけれどもきちんと親父に仕えた劉封さん。能力的な部分はイマイチよくわかりませんが、劉禅ではなく、劉封がもし親父の後を継いでいたらどうなるだろうか?と、高校時代に柔道部の仲間と話をしたものですw

というわけで、ガジェット通信の記事を見る限り、かなり興味をそそられました。

是非読んでみたいっ( ゚д゚)!! …あれ?

でも、待てよ…。確か『後三国志演義』って、わたしも購入しなかったっけか?

後三国演義がやって来た そう確かに購入していますし、未だに私の部屋の本棚に鎮座ましまし、ホコリを被っております。内容が上記記事と全然違うんだよなあ…。

魏延の子孫も出てこないし。

石珠様というお姉さまが、ロン毛のユニコーンに騎乗し、妖術を使って晋の軍団を蹴散らす内容でした。全部読んでないけど。あまりの荒唐無稽っぷりに数十ページ読んだだけでお腹いっぱいになってしまいました。

だけど・・・今度勇気を出して読んでみようかな…。

すんげー疲れそうですけど…。