トウ艾 part.3 戦う前から死亡フラグでボロボロ。それでも前進あるのみじゃ!

どうもっ!

諸葛菜です! トウ艾もまだ仕上げていなかったっ!

 

dengai

雑草魂なめんなよっ!(゚д゚)

トウ艾姜維の戦いについては、姜維の記事でたくさん書いてしまったので余り書くことがありません^^;その代わりと言ってはなんですが、トウ艾に関するよもやま話を記事にしましたのでこちらをご参考に^^;

さて、トウ艾は蜀の成都を陥落させるのですが、何度か危ない目にも遭っています。 姜維が再び北上してきた際、王瓘(オウカン)の提案により、「詰めの甘い、見え透いた埋伏の毒」の実行許可を出してしまい、思わぬしっぺ返しを喰らっています。

オウカンも死に物狂いで暴れ回りましたが、結局失敗。

トウ艾も王瓘(オウカン)の計が成功したものと見て突撃をしてしまったため、見事に罠にハマってしまいました。

傅僉(フセン)に「下郎、トウ艾。もはや我らの大将の計に落ちたぞ!いさぎよく馬を降りて死ね!」と、罵られたり、「トウ艾を殺したものには賞金千金、万戸の侯に封じてやるぞ」と言われて、鎧兜を棄てて遁走。手傷を追いながら退却。

上奏文を奉って司馬昭に対して、自分の官位を落としてもらいたいことを訴えましたが、司馬昭は彼は大功を数々立ててきたので、逆に恩賞を与えました。

トウ艾はこれを受け取るに忍びず、賜ったもの全てを戦死した兵士の家族に与えました。

責任感のある大将です。 自分の責任を追求されるのを恐れ、 部下を片っ端から殺す司令官諸葛恪 part3 呉の将来は私独りの双肩にかかっている!(思い込み)や、捕虜の数を水増しして手柄を立てたように見せるゴロツキ将軍文欽 ノリがいいだけの漢じゃない!司馬一族に2度逆らった義士とは格が違います。

 

その後も、姜維の作戦を逆手に取り、空城の計を用いて夏侯覇を戦死させています(演義では)。第116回で、ついに蜀へ出兵となりますが、トウ艾は鬱々として気分が乗りません。よっぽど迷っていたのか、易に詳しい部下の緩劭(カンショウ)から、「蜀を破っても、帰還することはできますまい」と、死亡フラグを刺されてしまいました。

気分が悪いのに、これではあんまりです。

さらに、宮廷に詰めている劉寔(リュウショク) は、「二度と都にもどれまい」と、ニヤニヤ笑いながら言われてしまいました。

羅貫中とモブ文官にトドメを刺された状態で出陣。 部下の諸葛緒が姜維にボコられ、鐘会軍の陣営に退却したところ、トウ艾の許可も得ずに鐘会は諸葛緒を囚人車に押し込み洛陽へ護送。

出だしから躓いています^^; 鐘会が正面突破を試み、剣閣で手こずっている間にトウ艾は陰平の険阻な山々を越えて成都になだれ込もうと計画しました。 トウ艾は息子のトウ忠、部下の 師纂(シサン)を連れて山越えを行いました。

途中、石碑を発見し、そこには「諸葛武侯題す」とあり、「二火初めて興り、人有りてここを越ゆ。二士衡(優劣)を争い、久しからずして自ずから死せん」と・・・。

3度めの死亡フラグ・・・。

もう、引き返すことはできません。 どうせ死亡フラグを刺されているのなら、前進あるのみです。

諸葛亮在世のみぎり・・・この場所には1000人の兵士が守備を固めていましたが、劉禅は彼らを引き揚げさせておりました。

もし、ここに兵が配備されていたら…トウ艾軍は全滅していたことでしょう。改めて、諸葛亮孔明の恐ろしさを実感し、ゾッとするトウ艾

「我らはここまで来たものの、もはや退く道はない!前の江油城には十分な兵糧があるっ!進めば生きることができるが、退けば死あるのみじゃ。力の限り攻め立てよ!」

江油城の城主は馬邈(バク)様w

城を降伏させたトウ艾は更に前進。 いよいよ諸葛瞻、諸葛尚親子との対戦ですっ!

諸葛尚 「あれが魏軍だよ…パパ…」斜陽の蜀に殉じた名軍師諸葛亮孔明の孫!