孫秀 登場と同時に晋に籍を置いていたので…

どうもっ!

諸葛菜ですっ!

呉の武将孫秀。 三国志演義後半を読んでいたら、最後最後に登場した漢。 どうして急に登場したのかわからなかったけど、三国志後半にしては結構な人物だったんですね^^;

三国志演義での登場は最終回である第120回。

呉の孫皓が降参、吾彦も降伏して呉はついに晋に呑まれた…。その時になって孫秀が登場っ!

驃騎将軍孫秀・・・

「むかし討逆将軍(孫策)は一介の校尉の身より国のもといをきずかれたのに、今となって、孫皓が江南を挙げて棄て去るとは。『ああ天よ、これは誰の罪か』」

いきなり嘆いた。

これで出番終了です。

孫秀の人となりはウィキにもあるけれど、中国語サイトにはダラダラ彼のことが書いてありました。

孫秀は呉軍の大将。宗室であり、多くの兵士から慕われて夏口を守備していた。孫皓は彼に人望があることに危機感を抱き除こうと考えた。270年に孫皓が武将何定と兵士5000を伴って夏口まで狩りに来たので、孫秀はこれを見て「何かはかりごとがあるのでは・・・」と疑い、妻子と兵500を連れて夜逃げ!

晋の司馬炎の元に亡命した。

驃騎将軍にも任じられ、会稽公にも封じられた。 呉の末期は暴君孫皓が忠臣を殺し、民を虐めたため、多くの武将が愛想をつかしていましたが、一人孫秀だけは、呉の滅亡を悲しんでいました。

涙を流し、望郷の念もあったんでしょうね。

晋での活躍はこれといってなし。

以前、悠呉さんからご指摘いただいた同姓同名で孫秀という男が西晋にいるそうですが、これは別人です。