李福 成都と五丈原を往復。諸葛亮の死と遺言を後主劉禅に伝えた。

どうもっ!

諸葛菜です。

 

李福…三国志演義三国志好きの方ならご存知のはず…。 でも、知らずにスルーしてもおかしくないキャラ。諸葛亮孔明が死ぬ間際のバタバタしていた時期に登場しました。

諸葛亮孔明の死後というか死の前後の話です。

 

三国志演義第104回。

三国志演義三国志の物語は諸葛亮が死んで終わりと思っている方も多いと思います。 ですが、本を見ればわかるように、第120回まであります。

孔明死にそうだけど、残りの回がそれだけあるなら、HP回復とステータス異常全開で復活するのでは?」

と、思うなかれ!

孔明が死んでからも話はまだ続きます。

 

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さて、三国志演義

五丈原にて、魏の司馬懿軍と対戦中です。 魏延に延命の祈祷を邪魔されて、諸葛亮孔明は虫の息。

姜維馬岱を呼び出しいっさいの指図を終えると、上奏文をしたためて劉禅に報告。 劉禅は上奏文を見て大いに驚き、尚書李福を取り急ぎ陣へ遣わせた。

孔明は、

「(中略)従来の諸制度を廃止したり、わしの用いていた者たちを遠ざけたりせぬよう。わしの兵法はすべて姜維に伝授した。彼はわしの志を継いで、国のために尽力してくれるであろう。もはやわしの命も今日明日に迫っておるゆえ、最後の上奏文を天子に奉るであろう」

李福はこれを聞くと急ぎ辞去した。

孔明の容態は悪く、後事を楊儀らに託し、外へ出て天文を見ると自分の将星が消えかけているのを見て自分の死期を悟り、昏倒。李福が引き返してきて、孔明が気を失っているのを見て、

「わしは国家の大事を誤ってしもうた!」

と、大泣き。

諸葛亮孔明はすぐに気を取り戻し、李福が枕元に立っているのを見て、

「そなたのもどって来たわけは、分かっておる」

「それがし、天子より、丞相のお亡くなりになった後は、大事を誰に任したらよいかお尋ねして来るようとの仰せをいただいて参りましたが、先程は慌てていてお伺いいたすを失念してしまいましたので、もどって参りました」

と、李福が詫びると、

「わしの死後は蒋エンに任したら良い」

「蒋エン殿のあとは誰に」

「費褘(ヒイ)がよかろう」

「では費イ殿のあとは誰がよろしゅうござりますか」

孔明は答えない。 諸将が近寄ると、すでに息絶えていた…。

所変わって成都。 後主劉禅はある夜、奇妙な夢を見た。 成都の錦屏山が崩れるのを見て驚いて目を覚ました。 譙周(ショウシュウ)にこの夢の吉凶を聞いてみると、やはり凶夢。

ところへ、李福が帰朝してきた。 李福は御前に泣き伏して諸葛亮の死を告げ、つぶさに遺言を伝えた。 三国志演義では、この後、彼の活躍はなし。

ただ、ウィキをみてみるとその後が載っていました。 238年、蒋エンに従い、監軍・司馬として漢中の南鄭城に駐屯。突如の急死。

伝者のような役割でしたが、監軍・司馬として駐屯したということは、それなりに賢い人だったんでしょうね。

おつかれ李福!!