張布 孫休と共に孫チンを誅殺 孫皓を皇帝にした後は・・・
どうも!
諸葛菜です!
孫チン排除に加わった将軍張布さんです。
張布(生年不詳-264年)
演義での登場回は第113回。 孫チンが孫亮を廃し、孫チン兄弟の権威がイケイケドンドンの頃です。 禁軍を握られ、威勢は皇帝の孫休をしのぐほど。
そんな奸賊孫チンを懲らしめるため、勇者張布は立ち上がった。
冬12月、孫チンは肉と酒をもって天子の聖寿を祝いに行きましたが、孫休はこれを受け取らず。頭にきた孫チンはその足で張布の館へ。
曰く、
「みんなはわしに天子になるようすすめたものだ。」
「わしらをいったいなんだと思っているのか。近いうち、きっと思い知らせてやる」
張布はこれを聞き、その場は調子を合わせておいて、この由を孫亮へ密奏。桓彝さんみたく、正面きって文句を言うと、この天子の傍系に殺されてしまいます。
将軍魏バク、施朔らも、孫チンが武昌に軍勢を整ええている由を報告してきました。張布は孫休に呼ばれ参内。
「老将丁奉は智略秀でて、大事を行うことができますゆえ、お召出しになられるがよろしいと存じまする」
丁奉と孫休らと策を練り、宴に呼び寄せて孫チンを確保する計画を立てました。張布は宮中の兵を整えさせ、魏バク・施朔は外の軍勢を整えました。
宴会当日―
酒が数巡したころ、張布が白刃を引っさげ、屈強の者30人あまりを引き連れ、殿上に駆け上がるなり大喝した。
「ご上意により逆賊孫チンを召し捕らえる」
孫チン、必死に命乞いをしますが当然許されるはずがありません。 張布は東側の庭先で孫チンの首を刎ね飛ばしました。
孫チンの部下たちへは、
「罪は孫チン一人にあり、他の者たちは許す!」
孫チン兄弟を一掃した張布達。外患よりも内憂の方が深刻化する場合が多い呉。とりあえず、次の強敵孫皓が出現するまでは、しばし落ち着きます。
張布の活躍はまだ終わりません。
演義第120回、最終回にも登場します。
魏が蜀を併呑し、衝撃のあまり孫休がついに病死。死の間際、太子の孫ワンを指差しながら死にました。
諸将は、太子を天子に立てようと協議していましたが、万イクが孫皓を天子に立てるよう提案。
張布も何を思ったのか、
「孫皓殿は才識明断、まさに帝王たるお方と存ずる」
三国志演義最終回にしてこの決断っ! 愚帝か暴帝のどちらかしかありません(汗)。
張布、新皇帝に代わっても自分の地位を確立したかに見えましたが、数行後に悲劇が・・・。
(原文ママ) 孫皓は日増しに兇暴となり、酒色に惑溺して中常侍シン昏を寵愛したので、僕陽興・張布が諌めたところ、いたく怒って二人を打ち首とし、その三族を皆殺しとした。
ムウ・・・最終回でのこのぞんざいな扱い・・・。 全然驚かないぜ・・・。 張布たちが孫皓を皇帝にしたことを悔いているのを密告されたため、死んだそうですね。
ウィキではエピソードも載っています。
「孫休は張布が、かつての孫チンと同様の行いをしていると批判した。張布ははいつくばって叩頭した。孫休は張布に対する信任は変わらないと張布を宥め、終わりをよくするよう励ました。」
張布が孫チンへとメタモルフォーゼしかけていたとは…意外です。 当時の宮廷は孫チンアレルギーにかかっていたようですね。空気を読んですぐに、土下寝を敢行した張布。保身術を心得ていました。
終わりをよくする・・・か、最後はあんまりな結末でした。