彭和 諸葛瞻らとともに籠城 決死の斬り込みで呉への援軍を乞う!
どうも!
諸葛菜です! 命がけで戦った隠れた勇士、彭和さんだっ!
[caption id="attachment_688" align="aligncenter" width="186"] 著作者:vectorartbox.com[/caption]
登場回は演義第117回。 鄧艾が綿竹関へ殺到。諸葛瞻は関から出て迎撃。時々出撃して鄧艾軍を蹴散らしていたが多勢に無勢。ついに綿竹関は鉄桶のごとく包囲され、諸葛瞻軍は立て籠もることに。
かくてはならじ。
ここで彭和が登場です。 彭和に書面を授けて斬って出させ、呉へ救援を求めに行かせました。 彭和は敵の包囲網を脱し、呉主孫休に謁見し、丁奉筆頭に五万の兵を動員することに成功しました。まさに「その時歴史が動いた」
蜀救援に旅立った軍勢ですが、この軍隊が蜀国境に近づく頃には蜀は滅亡。そのあとすぐに手のひらを反して、羅憲の立て籠もる永安城に牙を向けることになるとは・・・。火事場泥棒を招いてしまうことになりますが、それは別のお話…。
綿竹関から呉の首都までは相当距離があるので、数日ではつけません(汗)。 彭和が孫休とあっても、援軍は間に合わないでしょうし、仮に江凌などに援軍を求めても、皇帝の許可をもらうために何日も待たされそうです。
とはいえ、彭和のような人材は貴重。 武力のみならず、馬術、地理に明るくなければできない仕事。
彭和の苦労が目に浮かびますなあ・・・ おそらく100騎程度で討って出て、牽弘あたりのモブ軍の追っ手を振り切ったんでしょうな。彭和のような出てきた武将に思いを巡らせていたら、中国語のサイトに「虚構人物(架空武将)」の4文字が…。
出落ちならぬ架空オチでした(汗)。