賈範、倫直 燕王公孫淵の暴走を止められず

どうも、諸葛菜です!

今回は燕王公孫淵の幕僚賈範と倫直です。 とは言っても賈範、倫直が燕の家臣であったのは一瞬でしたが・・・。

  1. 賈範(生年不詳 - 238年)
  2. 倫直(生年不詳 - 238年)

参考記事:三国志演義後半戦の記念すべきトップバッターは公孫淵! 参考記事:卑衍、楊祚 燕王公孫淵軍のツートップ!!

公孫淵の記事とかぶっちゃいます(笑)。あらかじめご了承のほどを。 公孫淵が魏の皇帝曹叡から賜った大司馬・楽浪公の位を不服とし、燕王を自称。

すかさず賈範が反対します。

楽浪公の位は卑しいものではない。これに背くのはいけないと公孫淵を説得するも、

司馬懿は諸葛武侯すら手を焼いたものであり、殿ではとうていかないますまい」

あなたの命もただでは済みますまい・・・(涙)。 主人にこんな口を聞いて、天寿を全うした人は少ないのだよ・・・特に中国の古代戦国時代に置いてはね・・・。

たちまち、賈範は公孫淵に縛り上げられます。

打ち首かっ!?

と思われたとき、参軍の倫直が止めに入ります。 賈範の言っていることに間違いは無い。おまけに襄平市内では超怪奇現象が多発している。

曰く『国家の滅びるときの不吉な兆し』と諌めます。

とどめに、公孫淵の行動を「軽挙妄動」と切り捨てます。 血の気の多い公孫淵は激怒。二人まとめて市で打ち首。

いきなり良臣のさらし首を見せられた市民たちの不安ったら無かったことでしょう・・・。

まさに、亡国の兆し・・・。 さて、戦をおっぱじめましたが、ぼろ負け。 公孫淵降服→打ち首で終了。

戦後、賈範、倫直は公孫淵に謀反をやめるよう諌言したので、司馬懿によって「忠臣である」と手厚く葬り、子孫には栄爵を与えました。