卑衍、楊祚 燕王公孫淵軍のツートップ!!
現実的な良臣に「殿では司馬懿にかないますまい」発言をされた公孫淵
まともな忠臣に「怪奇現象が多発しているから挙兵をやめよ」と発言された公孫淵
しかし!
そんな燕王(自称)公孫淵を支えた将軍二人がいた・・・
それが卑衍、楊祚将軍さまDa!
- 楊祚(生没年不明)
- 卑衍(生没年不明)
参考記事1:三国志演義後半戦の記念すべきトップバッターは公孫淵! 参考記事2:王建、柳甫、衛演 命がけの使いパシリは俺らに任せろ! すったもんだで公孫淵が燕王を自称。
先鋒を卑衍、楊祚に命じます。 二人は兵8万人を率い、遼遂というところまで出兵。 20里余りも壕をめぐらし、逆茂木を張りめぐらせて厳しく固める。
卑衍は楊祚に言います。
「魏の軍勢が寄せて参っても、戦ってはならぬ。寄せては遠路はるばるやって来るものゆえ、糧秣続かず、長く持ちこたえることはできぬ(中略)むかし司馬懿が蜀の軍勢と退陣したとき、イ水の南岸を固め、孔明もついに陣中で死んだのだが、今回がまさにあれと同じことだ」
さすが卑衍大元帥!! 孔明と戦ったことも無いのに、すでに司馬懿気取りか? モブ将軍2名がタカをくくっていると、注進が駆け込んできます。
「魏の軍勢が南へ向かいましたあ!!」
と卑衍は大仰天。
「司馬懿め、襄平の味方が、無勢なのを見越してあちらへ廻りおったか!襄平を失っては、ここを守っていたところでどうにもならぬ」
『ねえ、司馬懿が孔明を追い払ったみたいに追い返すんじゃないの?ねえ?』と、卑衍・楊祚2名にこんな突っ込みは余りにも酷。
勘弁してあげてつかあさい。
見事におびき出された2名は夏侯覇、夏侯威に袋叩きに。 逃げ帰る途中、公孫淵に出会ったので、懲りずに再び魏軍に立ち向かいます。
卑衍が
「賊将!伏勢するとは卑怯だぞ!どうじゃ一騎打ちをやらんか ヘ(゚∀゚*)ノ」
無謀にも夏侯覇に挑みます。 本当に懲りない男だぜ・・・。
夏侯覇と戦うも数合もせずに、薙刀で斬り殺されます。 楊祚の生死は定かではありませんが、きっと殺されていたことでせう・・・。卑衍・楊祚、主公孫淵のために戦死しました。
夏侯覇 part1 夏侯淵の息子 姜維とタッグ編成!打倒司馬懿と曹家復興を目指すっ!?
まあ、仮に思惑通り、兵糧が尽きて司馬懿を追い返したとしても次々と新手はやってきます。
燕の独立を保持する根本的な解決にはなりません。 魏の国は大きいからね。
追記:中国語のサイトでチェックしてみたら、楊祚は公孫淵確保後、投降していました。