唐彬 三国志演義後半の隠れた名将? 司馬昭にその才を買われた
どうも! 諸葛菜ですっ!
今回は晋の唐彬という武将。 演義では、第120回に登場。
王濬とともに水陸の軍勢都合20万を率いて云々とあるのみ。 この人のことをネットで調べてみましたら、すでにきちんとした記事となっておりました(^_^;)
中国語サイトを探してみましたが、日本語サイトの内容とほとんど同じでした。 詳しく知りたい場合は、こちらからどうぞ。
http://iwakitakayuki.blog119.fc2.com/blog-entry-65.html こちらはさっくりと簡単にまとめます(^_^;)
1.司馬昭に見出される。
身長は八尺。この当時の尺が何センチだかわかりませんが、190cmくらいあったのでしょうか。今の世の中でもたいそうな体型ですが、当時だったら巨人です。
弓馬に秀でており、易学にも通じていた。器量もでかく、並の人物ではなかった。 朝廷の中でも重臣と言われていた王沈に呉討伐の方策を語り、感心させる。 司馬昭は孔顥に唐彬の才能を問うた時、孔顥は唐彬に嫉妬し答えなかった。
その時、傍らにいた陳騫が、
「唐彬の才覚は、私のようなものがかなうものではありません」
と答えた。
陳騫は当時としてはなかなかの武将。彼にほめられたのなら、それなりの人物なはずです。 鄧艾が田続に殺されてから、司馬昭は蜀の人民を落ち着かせるため、すぐに隴右を抑えた。 唐彬は司馬昭の命令をうけ、蜀の実地調査を行った。
ここで、トウ艾に対するダメ押しを上奏。
「トウ艾はココロが狭い、自分に従うものには関心を払うが、直言の士の話は聞かない。トウ艾は名前ばっかりでダメ」
まあ、謀反をめちゃくちゃ疑われていた人物に対して、まっとうな意見を吐くなんてできるわけありませんよね・・・。ある程度、トウ艾に対する評価は当たっているにしても、当時の政治的状況を見極めた上での発言だったのでしょうな。
2.司馬炎の代になってからも出世
治水などのインフラを整備。住民からも慕われた。 旧蜀漢の領土であった益州監軍が空席となったため、唐彬が監軍となった。
なぜ、彼が選ばれたのかはこちらの楊宗のページで御覧ください。
楊宗 巴東の平和は俺が守るっ!蜀のいぶし銀、名将羅憲の参謀!呉の火事泥は許せねえっ!
お金が好きなんです。賄賂とかにも弱そうですね…。