劉輯 劉禅の弟劉理の息子 全然おもしろくない記事だぞお~!
どうも!
諸葛菜です! 三国志演義に登場しないし、番外編にしようかと思ったけど、蜀滅亡時の人物なので蜀の人として分類分けしておきます。劉理の子供ですからね…面白くもなんともない^_^;
[caption id="attachment_793" align="aligncenter" width="348"] Heraldic crown.[/caption]
劉理は、おそらく劉備の子供の中でもこれといって能があるわけではなく、病弱な皇子。 劉理は馬超の娘を娶ってるんですよね。
う~ん、もったいない^_^; 劉理は244年に死去。馬超の娘を置いて旅立ってしまいます。
劉理の長男劉胤が後を継ぎますが、劉胤は256年に死亡。 その後を継ぐために劉胤の息子劉承が安平王に即位。
しかし、翌年257年に死亡・・・。
劉理の病弱遺伝子の影響でしょうか、子々孫々短命のようです。 劉理、劉胤、劉承の三代が相次いで夭折したため、跡継ぎがなくなってしまった。
最後の手段として、劉理の息子劉輯を王位に迎えました。 劉輯は蜀漢滅亡まで生き、264年蜀漢の皇族たちと共に洛陽に移された。 三国志演義では五虎将と言われた猛将馬超の遺伝子を継ぐ、蜀漢の皇族だったのに、これといって活躍は無し。皇族だと大した兵権もないだろうから、魏国相手に暴れることも出来んかったでしょうな。
雑魚武将で超地味キャラだけど・・・いいね!よろしく!