胡烈 鐘会に捕まったけれど、息子に助けてもらい命拾い。しかし・・・

どうも! 諸葛菜です!

胡遵、胡淵、胡奮、胡芳など書いてきたけど、胡烈を書いていませんでした^_^;

演義第119回。

「わしの言うことが聞けぬと申すものは斬って棄てるぞ!」

いきなりの鐘会の恫喝。現代ならブラック企業でよく聞かれるセリフじゃないかっ…!? 居合わせた魏の大将たちはお互いに顔を見合わせる。

鐘会が剣閣にいる姜維達を降服させました。 鐘会は、司馬昭を討つため、皇太后の詔を受けたとでっち上げ、部将たちに『打倒司馬昭』の連判状に署名させるよう強要しました。

自分の部下たちを軟禁していましたが、不服の様子なので、穴埋めにしてやると意気込む鐘会。それを知った護軍胡烈は、

「息子胡淵が兵をひきいてここを囲んでおるが、あれは鐘会がそのような心でいることなぞゆめゆめ知るまい。そなたが昔のことを思って、一言あれに知らしてやってくれれば、わしも心残りなく死ねるのじゃが」

今では鐘会の側近となっているものの、自分の元部下であった丘建に、涙ながらに依頼したました。

丘建はこの由を城外にいる胡淵に伝えることに成功。

怒った息子胡淵は兵を率いて、鐘会らを討ち取りました。城内は大乱戦となりましたが、胡烈は巻き添えを食らうことなく無事救出されました。

 

蜀平定後、胡烈はそのまま荊州の刺史となりました。 しかし、平定後間もない頃、呉の孫異、陸抗らが軍勢を率いて旧蜀の永安を強襲。 胡烈は、羅憲が派遣した楊宗より救援依頼を受け出陣し、呉軍を撤退させました。

270年、魏が晋となり、胡烈は秦州刺史となり、鮮卑の反乱を防いでいました。 しかし、鮮卑の勢いは凄まじく、奮闘むなしく戦死。

禿髪樹機能 三国時代末期の鮮卑の首領!鮮卑の人民は俺が救う!

陳騫は司馬炎に対して、

「烈と牽弘(涼州刺史)は勇敢であるが思慮分別に欠ける人物なので刺史の任は果たせないだろう」

と話しています。

胡烈の死に、馬も泣いた・・・。 司馬炎がこれを聞き届け、すぐに馬隆を派遣していたら死ぬこともなかったでしょうに…。

馬隆 王凌を弔った義人!鮮卑の鎮圧で功績を上げた良将!