三国志演義後半の武将をトランプで見てみようコーナー part3

どうも! 諸葛菜です!

三国志トランプの紹介です。 孔明死後の三国志後半の武将は紹介し終わったかなあと思ったら、ちょっとばかり抜けていました。

それから、お気に入りのカードもご紹介。

まずは・・・後半武将の取りこぼしから^^;

丁奉。 このシーンは演義での『丁奉 雪中に短兵を奮い』ですな。南下してきた魏軍の先鋒を寡兵でもって打ち取りました。丁奉、私服でのアタック、男前です。相手は桓嘉か韓綜でしょうね。イラストの説明書きには、後期呉の名将とあります。やっぱり中国でも丁奉は名将として知られていたんですね。

よかった。

 

馬岱バックアタック

「ぎ、魏延ー!うしろだあー!」ドラゴンボール調で。

小説三国志の終了はこのシーン。孔明の謀によって魏延馬岱により殺されてしまいました。

馬岱はこれが功績となり、出世。

黄蓋じゃないですけど、まさに苦肉の計。木の棒で50回も叩かれ、雑兵に降格。その後は魏延の配下となり、付き従っていましたが、最後は魏延を打ち取りました。諸葛亮孔明の死後は、単独?なのかはわかりませんが、北伐。

魏の国境「金牛宮」を守る牛金に大敗を期しました。

 

貂蝉 王允の娘。呂布董卓をたぶらかして、漢王朝を牛耳る悪玉菌を追い出すことに貢献した漢王朝の忠臣と言ってもいいでしょうね! 張苞関興 蜀のニュージェネレーションコンビですね。五虎将亡き後、短い間ですが、蜀の前線をよく支えました。

しかし、張苞は若くして破傷風にかかったり、この当時の蜀というか、これ以降の蜀は呪われているのかっていうくらい、良将たちが朽ちて行きましたね・・・。この二人の活躍はもっと見たかったですね。

 

賈ク 魏の謀士として三国志上でも名高い軍師。 でも、彼だって結構苦労はしたんです。董卓の部下であった時代、李カク・郭シの武かであった時代、張繍の部下であった時代・・・

並の人間なら、俺って負け組!なんて、思っちゃうかもしれません。

紆余曲折を経て曹操の軍門に下りました。チンピラの無法集団と化した李カク・郭シらがオラオラと献帝をいじめている中、賈クだけは献帝他側近たちから信頼されていました。

「李カクどものなかで、賈クはよい方だ」

みたいなことを演義で言われていました。イラストの場面は、どこでしょうね…?張繍配下時代に、曹操が攻め寄せてきた時かな?ちょっとわかりません。着物来ているのが賈クかな?

説明書きにわざわざ「性別男」と書いてあるのが笑いを誘ってくれます。さらに、三国時代には毒士と呼ばれていたと書いてあるのにびっくり!

ポイズンw

 

ジョーカーは曹操劉備w 中華の英雄は誰かを語るシーン。

これは三国志三国志演義では名シーンの一つ!劉備曹操軍に身を寄せている時、玄徳は自分の器を小さく見せるため、百姓仕事ばかりしていました。

ある日、曹操に食事に誘われ、亭で会食。中華の英雄は誰かという話をしていました。 「中華広しと言えども英雄はいない。いるとしたら余と君だ」by曹操

それを聞いた劉備は仰天。雷がなったのを幸いに、机の下に潜り込みました。

「雷を怖がるくらいなら大した男ではない・・・」

と、曹操を油断させました。

むむむ・・・。 演義後半では見られない、英雄同士の鍔ぜり合いですな・・・!

 

 

ホウ統 伏竜鳳雛鳳凰の方です。孔明と双璧をなした智謀の士。赤壁の戦いで連環の計を用いたのはあまりにも有名。

落鳳坡で張任ハリネズミにされたのも有名なシーンでした。紫虚上人の詩で、死亡フラグをぶっ立てられました。羅貫中のフラグ攻撃はザキの数倍の効果ですな。

もっと長生きしてくれていたら・・・後期蜀の歴史も少しは変わったかもしれませんね。。。横山三国志で、ホウ統の死を見た時はとても悲しかったなあ。

 

南蛮王孟獲 演義孔明の七度捉えられた南蛮王です。陳舜臣さんの小説では孔明の下僕として使えていたり、活躍の幅は…広い!^^;同小説では、諸葛瞻父子討ち死にの際は、多くの南蛮兵も綿竹関防衛戦に参戦して戦死したとか・・・。

横山三国志の南蛮軍団のゴテゴテした鎧は好きでした。