蒋済 司馬懿の友人 直言の士として曹操、曹丕、曹叡、曹芳に使えた漢

どうも! 諸葛菜です!

前半の武将ですが、孔明死後にも登場したと言うことで蒋済さんです。

[caption id="attachment_2015" align="aligncenter" width="450"] 百度将済より[/caption]

蒋済(生年不詳-249年) 蒋済の三国志前半での活躍はウィキにあるとおりです。

 

司馬懿のアドバイザー

さて、孔明死後、演義で彼が登場した回は第107回。曹爽一派が巻き狩りに出ている間に、司馬懿がクーデターを起こしました。知恵袋の桓範が逃亡したことで、さすがの司馬懿もやや後悔していました。

蒋済は、

「駑馬は桟豆を恋しがります。決して彼を用いは致しますまい※」

と、曹爽の器の小ささを十分知っていたので、桓範が曹爽の元へ行っても、曹爽は桓範の策を用いないことを見抜きました。

※『通鑑』の注に、「曹爽は家の事に恋々としていて、先の慮りがないから、桓範の計をもちうることはできないであろう」との意だとしている。「駑馬」は下等な馬で曹爽にたとえたもの。「桟豆」は馬の飼葉にするまめ。

司馬懿は、皇后に曹爽の罪を訴えるため上奏文を蒋済に書かせました。 演義での活躍はこれにて終了。

桓範 曹爽兄弟の知恵袋 剛毅な苦労人?

 

曹爽をかばった直言の士!

また、直言の士として知られており、

「大臣が思い権力を握ると国は危うくなり、側近が甚だ親愛されると、君臣の間が疎遠になると言うのは、古からの厳しい戒めでございます」

と、曹叡に奏上したことがありました。

司馬懿クーデターの際、司馬懿と共に出陣しました。 蒋済は「ただ免職させるだけである」と伝えましたが、結局曹爽一派は処刑。自分の言葉が結果としてうそとなってしまったため、心痛のため死亡。

曹爽&曹羲(ソウギ)、曹訓、曹彦 僕たち兄弟は豚じゃない・・・

蒋済は、曹爽一派を恨んでいたとはいえ、彼らを助命するよう司馬懿に言っていたんですね。

ウィキより抜粋

司馬懿が曹爽に対してクーデターを起こした時、司馬懿に協力し、助命を条件として曹爽を降伏させることに成功した。しかし司馬懿は曹爽一派を殺そうとしたので、「曹真(曹爽の父)の勲功を祀る者を絶やしてはなりません」と司馬懿を諫めたが容れられず、曹爽らは誅殺された。

また、以前、蒋済は司馬懿と雑談中、「王凌の子供たちの器量についてはどうだ?」と聞かれたことがあり、「なかなかの器量だ」と答えてしまいました。この頃から司馬懿は王凌たちを警戒し、蒋済の死後に王凌らをクーデターの容疑で処刑しています。

芽を摘むのが、芽を発見するのが非常に上手な老賊司馬懿

 

恐ろしい!

 

蒋済も病死とはいえ、全てをやりきった感がありますね。生年は不詳ですけど、普通に長生きした感じがします。ただ、もう少し長生きしていれば、王凌たちも助かったのかなあ・・・。もっと頑張って欲しかった骨のある人物だと思いました。