丁奉 part1 孫権から孫皓まで仕えた水陸両用の呉の名将!

どうも! 諸葛菜です!

呉の武将や文官を書いてきましたが、モブ武将、出落ち武将ばかりで、戦場で戦ういわゆる「将軍」をあまり書いていませんでした。

そこで、今回は丁奉将軍様です!

[caption id="attachment_2022" align="aligncenter" width="523"] 百度丁奉より[/caption]

 

丁奉(生年不詳 - 271年) 丁奉のウィキリンク

 

長年仕えた安定の老将

孫権時代から呉に仕えて来た名将です。横山三国志でも登場。赤壁の戦いのときに、周瑜に命令されて諸葛亮を捕縛しようとして、失敗していたのが印象的でした。

「腕力はありそうだけど、いまいち武将なのか・・・」

と、あまり記憶に残らなかったです。

横山光輝赤壁の戦いでは、周瑜はじめ徐盛、潘璋らも諸葛亮に手玉に取られ、徐盛以下の武将たちがモブ扱いされていた印象がありました。

とはいえ、実際は皆さん優秀な武将ですし、相手が孔明だったのですから、仕方ありません。

孔明の死後の各国では、魏には司馬一族、現場には鄧艾、郭淮、陳泰、そして鐘会などの無双ぞろい。

蜀には姜維。また、劉備時代と比べると、小粒とはいえ、孔明イズムを引き継ぐ優秀な現場武将たちがいることを読者に認識させてくれました。

孔明が第104回で死んだ後、多少、孫権にカメラが廻っただけで、本格的な呉の活躍は、第108回まで待たねばなりません。

呉にはいったいどんな武将が生き残っていたのだろうか? と、初めて演義を読んだときは、とても興味津々だったことを覚えています。

 

孔明死後の呉も人材不足気味に

太子孫登が死んで、孫和が孫魯班にいじめられて憤死していましたし、陸遜諸葛瑾もすでに没しています。

この時すでに251年。孔明が死んだ234年から一気に17年もタイムスリップさせられて、呉の扱いが尋常じゃないと思いました。上記の人たちが亡くなっているのも当然です。私は正史を読んでいませんし、二宮の乱もあまり詳しくないので、「諸葛恪以外誰も人物がいないじゃないか!」と心配になりました。

羅貫中先生は、呉へカメラを回すと、大抵タイムスリップさせて武将を殺す手法を用いてくれます。

「何某と何某は既に亡く」

ってな感じで。 呉の扱いがぞんざいなのは、古今変わらぬのか…。

よくしりませんけど、最近では呉の陸遜などを女人化させ、甘寧と絡めたり、萌え系、エロ系の漫画などがあり、それなりに盛り上がってはいるようです。

 

演義後半丁奉の活躍

さて、

演義後半の丁奉の活躍を追ってみましょう。 孫権も死んでしまいましたし、魏の大軍は南下してくる・・・。

諸葛恪は武将を集めて協議。いったいどんな武将が集まっているのか・・・と、ひやひやしていたら、

「東興は東呉のかなめとも申すところ、もし失うようなことがあれば南郡・武昌も危うくなりましょう」

これぞ平北将軍丁奉

赤壁の戦いで、孔明に大分転がされていた武将だったのでちょっと不安に思いましたが、この頃はずいぶん経験値も溜まっていたはず。いち読者として見るに、他に頼れる武将がいなさそうなので、丁奉に呉の将来を託します。魏の30万の大軍が南下してきているというのに、諸葛恪は、

「そなた、水軍3000をもって水路をかしこへ向かってくれい。呂拠・唐咨・留賛に騎歩1万ずつをさしそえて後に続かせる。連珠砲を合図にいっせいに撃ちかかることといたせ(中略)」

なんだか・・・ずいぶん桁が違います(汗)。 命令と言うよりも、丁奉が丸投げされた感じです。

しかし、丸投げされたのに気づかないのか、自信があるのか、3000の水軍を30艘の船に分けて東興へ繰り出します。

ちょっとここで気になったのが、「連珠砲」というアイテム。たしか、三国志前半の孫堅VS劉表で用いられていた気が・・・?演義第7回の注釈で説明されていました。

(抜粋) 六 連珠号砲 弘治本では礟(ホウ)を砲につくる。未詳。ホウはもともと石をとばすもので、砲にも通じている。石火矢の連続発射できるものか。矢を連続発射できるものは「連弩」といい、すでに戦国末期(紀元前三世紀)頃よりあらわれている。号砲とあるからは火薬を使って大きな音を立てるものだろうが、火薬が軍事に使用されたのは下って宋・元以来である。

よく分からないけど、結局砲のようです。上記を脳内で千葉繁御大のお声で再生してみると、ちょっと信憑性が出てきます。 途中で自問したり、連弩の説明に逃げたり、火薬は宋・元以来に使われていたと締めくくっており、訳者の立間祥介先生も翻訳にお困りになってらっしゃいます。ここは作者である羅貫中先生がしっかり解説するべきだと思いました。

火薬は孔明VS司馬懿で使われていましたし、李輔-花山戦でも使用されていました。

 

寡兵でもって大戦果

さてさて、

肝心の丁奉ですが、首尾よく魏の陣営へ到着することが出来ました。丁奉が無勢であることと、装備がショートソードしかないことを見て、魏の大将胡遵は大笑い。

「たかが三千あまり。相手にもならぬわ」

と自ら死亡フラグを立て、酒盛りを続けました。丁奉は船を接岸させ、

「男と生まれて、名を上げ富貴をつかぬのは、まさに今だぞ!」ヽ(`Д´)ノ

後年、人型兵器のモビルスーツが戦争の主力になりますが、このたびの丁奉の水軍の奇襲攻撃は、まさにゴッグズゴックを髣髴させてくれます。丁奉の目の前に、魏の戟の使い手韓綜、槍の使い手桓嘉が立ちはだかります。赤壁以来の戦闘経験値は伊達ではありません。このモブ二将をあっと言うまに片付けます。

参照:

かくて、呉軍を勝利に導き、孔明死後の三国志後半戦において、改めて華々しいデビューを飾りました! 今回はごちゃごちゃした記事になってしまいました(汗)。

呉はもっとスポット当ててもらいたいですね。