龐会(ホウカイ) ホウ徳将軍の忘れ形見、父の仇を討つため関羽一家を・・・

どうも!

諸葛菜です!

画像を削除したおかげで、夏侯咸、龐会らの記事がもっとわけがわからなくなってしまったので、今回は龐会にスポットを当ててみます。

 

龐会(ホウカイ) 父:ホウ徳

演義では、魏が蜀討伐の軍を起こした際、夏侯咸らとともに名前だけ点呼された出落ち武将でございました。

219年ホウ徳が関羽に処刑された後、曹操は龐会ら兄弟4人を関内侯とし、食邑を100戸ずつあたえました。

龐会の性格は勇猛果敢、父と同じ風格を備えていました。将軍職も賜り、列侯にも封じられました。

龐会は263年の蜀討伐戦役に参加しました。 鐘会の命を受け、トウ艾が諸葛瞻を綿竹関で破った後、胡烈、田続らとともに巴郡に転進した姜維を追撃しました。

王隠<蜀記>では鐘会が蜀を平定後、龐会はホウ徳の屍と棺を魏の都市であるギョウに持ち帰り、その首は生きている時と同じようであったといわれています。

しかし、裴松之はこの説を否定しています。なぜなら、ホウ徳の死体は樊城にあるはずであり、蜀にあるはずがない。王隠の蜀記では、龐会は蜀漢滅亡後、関羽の遺族をすべて皆殺しにしたと書かれています。以前の記事では、龐会がホウ徳の息子とは知らず…モブ処理してしまいました^_^;

夏侯咸、王買、田章…三国志後半 モブ武将共が整列!

本当かどうかわからないけど、関羽の一族を滅亡させたとは・・・やっぱり中国的ですよね。この辺、超徹底しています(汗)。

崩壞・・・