夏侯咸、王買、田章…三国志後半 モブ武将共が整列!

どうも! 諸葛菜です。 今まで、出落ち武将を散々書いてきました。 しかし、名前だけ羅列されて、後はこの私にどうしろと・・・!?

羅貫中先生!

いったい私にどうしろと・・・っ!。゚(TT)゚。 演義第116回

(原文) さて鐘会はいったん陣を構えてから、本陣に諸将を集めて下知を下した。集まるものは、監軍の衛瓘(エイカン)、護軍の胡烈、大将田続・龐会(ホウカイ)・田章・爰セイ・丘建・夏侯咸・王買・皇甫闓(コウホカイ)・句安ら八十余名。

・・・・・・・だからどうした?

ただの点呼じゃねえか(笑)。

これだけの武将が80名以上もいるんだぞっ! 魏はとっても大きくて強い国なんだぞっ!

ということを読者に伝えたかったのでしょうな・・・羅貫中先生。

確かに、こうしてみると、一人ひとりの武将が、蜀の蒋舒や王含の3倍くらい強そうな感じは・・・する。ムムム・・・このブログの趣旨は三国志演義後半のマイナー武将を紹介し、一人でも多くの三国志ファンにその存在を知らしめること・・・。

無理やりいじるZE!!!(゚Д゚)

まずは、この記事でいじれる奴といじれない奴から分けねばならぬ・・・。

衛カン、胡烈、田続、丘建はそれぞれ少々活躍しているので、後の記事に回せる。

句安は、蜀の李キンの相棒句安の同姓同名の赤の他人かもしれないが、元蜀の降将ということにして、解説を省く・・・。そうなると、龐会(ホウカイ)・田章・爰セイ・夏侯咸・王買・皇甫闓(コウホカイ)の6名か・・・。

もちろん、ウィキもない。 参考資料も無いので、中国語サイトをさまよっていたら、台湾サイトでこの「モブ武将どもの簡単な説明入り」を発見!

説明といっても、こいつらが、蜀討伐作戦に参加したとしか書いてないんですがね・・・。仕方が無いので、またミンメイに頼るしかありません。

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蜀攻略戦・・・。

許儀が盧遜と戦い、逃げて帰ってきたので、鐘会が自ら南鄭関へ突撃。

演義本では「許儀が道路整備をしていなかったから土が崩れて落馬」とあったが、実は、上記6名が鐘会という青瓢箪大将の器を量ったのである・・・!

南鄭関前での両軍入り乱れての闘い。

突然の伏兵に魏軍劣勢。

鐘会自身矛を振り回し、雑兵どもの首をかっ飛ばしまくる。 「手をおかしいたそうか・・・?」 皇甫闓、王買、夏侯咸ら6名が鐘会を囲む。

言うなり、まずは龐会が鐘会を馬から転げ落とす。 「き、貴様ら・・・?!」

夏侯咸が地べたにしりもちをついた鐘会を見下ろして言い放つ。 夏侯咸「貴殿の戦いは、今まですべて馬上からの戦いでござろう!一度は地べたで戦ってみなされ!」 地べたでの戦いをする鐘会。不慣れなためか雑兵Aに背後を取られてしまう。 それを見ていた皇甫闓が、雑兵Aを蹴飛ばし、鐘会へ、 皇甫闓「こんなものを被っているからだ」 と、鐘会のかぶとをむしり取る暴挙にでた。

さらに、田章さんが・・・・ 田章「私の信ずる”真”の将とは、誰よりも地べたの戦いを知る者!」

「おそらくその身体、未だに傷一つ無い美肌でござろう!・・・」

流石、歴戦のつわもの田章将軍!鐘会の鎧の下が「美肌」であることを見抜きました。 鐘会の幕中での行水姿をちら見していたのかな・・・(;^_^A

結局、兵士荀愷 (ジュンガイ)に助けてもらい、何とか盧遜を討ち取り、南鄭関を打ち破った。戦勝後の宴会に参加しても、腹いせに許儀を斬り捨てても、鐘会の心は晴れない。そう・・・田章将軍が、自分の美肌を鎧の上から見抜いたことが気にかかっていたのだ・・・。

許褚(チョ)の息子許儀 超無念!インフラ整備に失敗し南鄭関に散る!

皇甫闓らに量られたことをしり、憤る鐘会。多くの修羅場をくぐりぬけ、更なる「漢」になることを誓ったのであった。

民明書房-鐘会伝-より抜粋

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出オチ武将の記事は難しいなあ・・・。