馬岱 馬超の従弟 五虎大将軍亡き後は君の武勇が頼りだった
どうも!
諸葛菜です。
今回は三国志ファンの方はもちろん、三国志をパラ読みしただけの方もご存知かと思われる馬岱さんです。
馬岱って三国無双でも活躍されていたんですね~!五虎大将軍でもないし、キャラ的にも…って感じがしたのですが、無双では『陽気な苦労人』として頑張っているようです。
漢は背中で語る!
参照元:http://baike.baidu.com/item/%E9%A9%AC%E5%B2%B1/31534
馬超とともに曹操軍と戦った
さて、馬岱さん。
三国志前半から活躍していた息の長い武将です。 横山三国志にもあったとおり、曹操が馬騰親子(馬鉄、馬休ら)を忙殺した際、命からがら逃げ延び、商人に変装して曹操軍の目を巻き、馬騰の長男馬超にこの急報を届けました。
よく考えると曹操軍、恐ろしいです。 つまり、曹操軍は馬騰軍のモブ兵一人残らず殺害したってことですよね・・・。通常、馬超も間者なりを放つべきなのでしょうけど、それをしていなかったのかな。間者の方が、情報伝達が早そうですし。横山三国志だと、馬岱はボロボロ、乞食の姿でした。
劉備軍へ加入。南蛮征伐、北伐と大活躍!
時は流れ、馬岱は劉備軍に属しました。 馬氏の頭目馬超が亡くなってから、その後を継いで馬岱は大活躍しました。
南蛮征伐、北伐。 演義ではさすが、馬超の従弟!と、思わせてくれる目覚しい活躍ぶりでした。
が、そんな彼にも災難が襲いかかります。
それは魏延焼却未遂事件。 五虎大将軍入りしてもおかしくない勇猛果敢な忠臣魏延将軍でしたが、これが何かとうるさい。孔明の作戦にケチをつけるし、孔明の作戦が失敗すれば
「それみたことか!」
「わしの言った通りじゃっ!」
「わしの言うとおりに攻めておれば、今頃長安だっ!」
などの発言が目立ったため、司馬懿を葫蘆谷で火攻めにする際に一緒に焼いてしまおうと大軍師諸葛亮孔明は企みました。その火計を指揮したのが馬岱だったんですね。
しかし、魏延の悪運が強いのか、はたまた司馬懿の悪運が強いのか、大雨が降り続いたため鎮火。魏延は一命を取り留めました。
殺されかけた魏延は諸葛亮に詰め寄りましたが、諸葛亮もさる者。間違えて魏延まで焼こうとした馬岱はけしからん!ということで、50杖の刑に処され、棒で50回体を叩かれました。横山三国志ではこの描写はとても有名ですね。 その時、馬岱は諸葛亮に対して恨みを持ちましたが、これは魏延を除くための遠大な絵図の始まりに過ぎないことを知り、怒りを抑えます。
諸葛亮孔明臨終間際、密計を授かります。孔明が亡くなった後、魏延は楊儀ら蜀軍の大半と確執が生じ、対立。漢中に篭っていた楊儀軍が、魏延に向かって、
「『おれを殺せるものがあるか』と3回言ってみろ!」
と言い、魏延は三回言いかけます。
「おれを殺す者がおるか!?」
と、叫ぶ魏延。
「わしが殺してやる!」
馬岱、叫ぶやいないや、渾身の一撃、クリティカルヒットで魏延を一刀のもとに斬り捨てました。
孔明死後も蜀を支えた将軍
もちろん、この後も活躍しています。 235年、馬岱は北伐。この時の相手は魏の牛金。牛金って確か曹仁との熱い絡みがあってから、それっきりって感じですが、蜀魏国境に駐屯していたんです。
三国志や三国志演義では牛金のキャラは、勢いだけの凡将そのものだったと思いますが、蜀魏国境に駐屯しているということは、能力値は高そうです。 この時代、蜀・魏国境の司令官は誰だったのでしょうか。郭淮かな? 馬岱はこの牛金と戦って大敗。1000人の兵士が犠牲となったそうです。
馬岱に清き一票をっ!