孫峻 非道な熟女好き!東呉の暴れん坊丞相!

どうも! 諸葛菜です!

東呉の大物…いや、小物すぎるゆえ、三国志後半の有名武将となれたのかもしれぬ・・・。

 

東呉の孫峻様だっ!

 

孫権死す。 三国が鼎立する前の泥沼チャイナを知る、英雄皇帝が死去。

後事を託されたのは、諸葛恪や孫峻…。孫策が亡くなった時には、孫権の周りには周瑜、張昭などそうそうたる顔ぶれだったのになあ…。孫亮も辛かったろうて・・・。

 

諸葛恪を殺害

演義での登場は第108回

呉では諸葛恪が大権を握り大暴れ。いくら諸葛瑾の息子とはいえ、ちょっとばかりやんちゃが過ぎました。孫峻は、孫権在世中の折、いたく気に入られて近衛軍を率いていましたが、孫権死後は、諸葛恪にまるまる奪われてしまいました。

おりやよしと滕胤が孫峻に声をかけ、諸葛恪を酒の席で殺害する計画を実行。孫峻は、諸葛恪が腹痛を理由に欠席を申し出ても、強制参加させた。

酒が数巡した時、孫峻が吠えたっ!

「上意だ!逆賊、誅を受けよっ!」

孫峻は諸葛恪に斬りかかり、首をかっ飛ばす!諸葛恪の側近張約の不意打ちが孫峻を襲うが、これをひらりとかわし、カウンターで張約の右手へ斬撃っ!

何気に強いぞ、孫峻っ! このあと、諸葛恪に奪われた大権はことごとく孫峻の元へ・・・。

演義では病死扱いとして穏便に終了

第108回以降、孫峻の活躍はなし。

名前だけはできました。

第110回では、カン丘倹が挙兵した際、孫峻が留守を狙い北上。

第112回では、この時、東呉の丞相孫峻はすでに病死して、従弟孫ちんが天子を補佐していた。

と、いつの間にか死んでいました。 演義での活躍は以上です。

 

孫峻の暴れっぷり

ウィキを見てみると、孫峻馬術・弓術に巧みで、思い切りが良かったという。

諸葛恪&張約を倒す腕はお見事。道理で…。

ご覧のように、孫権の相談相手をしたり、孫権の死後は諸葛恪と共闘して政敵を倒したり、諸葛恪を倒したあとは、相当むちゃくちゃをしていますね。

孫家によく見られる…一定の地位につくと、

「日増しに凶暴になっていった」(by羅貫中)の例外に漏れず、孫峻は、気に入らない者を次々と刑殺。

更に、宮女たちをも姦淫、更に更に、大叔母に当たる公主孫魯班とも姦通し、破廉恥極まる行為をしていました。このような度重なる暴挙により、孫峻は自分の身内(孫英。また、孫儀・張イ、林シュンら)に命を狙われたことがありました。

しかし、暗殺計画を事前察知したため先手を打って処刑。これに巻き込まれた孫魯班の妹孫魯育も連座して殺されました。

暗殺計画をことごとくスルー!こいつ意外と捕獲レベルが高いんだよ…孫峻

 

孫峻VS魏

演義第109回にあるように、孫峻も魏へ戦いを仕掛けたことがあります。 呂拠、留賛らとともに、毌丘倹(カンキュウケン)・文欽の乱に乗じ北上しましたが、諸葛誕により寿春はすでに落城されていました。

諸葛誕の配下蒋班に追撃され、留賛とその配下武将3名が斬られましたが、孫峻は反撃をあきらめず、朱異に反撃を命じましたが失敗。後に出てくる彼の従弟の孫チンとどっこいどっこいの能力値と人間性です。

 

孫峻の最期

孫峻は味方の呂拠の陣営に入った折、彼の陣営が整然としていたため、見事な統率ぶりに恐れを抱き、心臓が痛むと称して早々に引き上げてしまいました。

呂拠 呂範の息子にして、優秀な軍人

その後、これに衝撃を受けたのか、諸葛恪に何度も殴られる夢を見て、怯えた彼は病気となり急死した。

享年38歳。

 

丞相の位は従弟の孫チンへ…。

器が小さくて小さくて^^ 若干7歳にして太守。 若死武将は、コーエーの計らいで子役デビュー。

孫峻ね…。 無茶苦茶キャラで後半の物語を支えた…?人物です。 呉にとって多少幸いだったのは、彼が比較的若い段階で死んだこと…と思いましたが、次が孫チンだからダメか(汗)。

凶暴さ、非動さ、戦のダメっぷり、人間性において孫チンとほぼ同等でしょうけど、性格は孫チンの方が図太いですね。

孫静伯父さん(孫堅の弟)は、横山三国志でチョイ役で登場、

甥を助けるため、一瞬だけ存在感を放ったモブ武将だったのに。。。

甥っ子どもが残念すぎです。。。 孫静伯父さんお疲れ様でした。