留平 留略の弟 孫皓に殺された将軍
どうも!
諸葛菜です!
ダークだろ~?末期呉。
今まであまり触れずにいたけど、これからはガシガシ行くぜっ!(`´)
さあ、留平さん・・・出ておいで。
演義では…死体!
演義での登場回は第120回。
楼玄たちと一緒くたにされて「殺された」と一行だけ出てきました。出落ちの死体一行武将です。
以上!
全く、末期呉の武将は扱いにくいなあ~! と、思っていたら、
羅憲と戦っていた留平さん
留略ウィキに記載があります。
留平は留略の弟。 263年に登場したキャラらしいです。
264年の蜀滅亡後には征西将軍として、旧蜀の名将羅憲と対戦していたんですね。
留平の能力の如何のほどはわからないけれど、羅貫中があえて楼玄らと共に名前を上げたくらいだから、留平も相当なやり手だったのでしょうか。
陸抗・留平・それから孫なんたらの攻撃を、寡兵でもって退けた羅憲はやっぱりすごいなと。あんた、どうしてあの時に綿竹関にいなかったんだあ~~~( ゚д゚)!
それから、265年に左将軍に昇進。 孫皓の暴政を抑えようとしましたが、全く聞き入れられず、
272年、万彧とともに皇帝廃立を企てたと咎められ、毒殺されそうになりました。留平は慌てて解毒剤を飲んで一命を取り留めましたが、憤りのあまり死亡。結局死んでしまうのかい…。
あ~。
この時代の羅憲戦見てみたいなあ~。 三国志の物狂い漫画家が読み切りで描いてくれないかな~。 出来れば週刊ヤングジャンプの「キングダム」の原泰久先生に描いてもらいたい(^_^;)
出落ち感が凄まじいって?それがこのブログよ・・・!