張翼 part1 蜀漢の名臣として最後まで戦い続けた良将
どうも! 諸葛菜です。
斜陽の蜀を支え、やや暴走気味の姜維を抑えようとした現場武将、張翼・・・。
[caption id="attachment_2031" align="aligncenter" width="523"] 百度:張翼より[/caption]
劉璋の配下武将として劉備軍と対峙
三国志演義では劉璋配下の武将として登場しました。劉備が入蜀を開始すると、卓膺と共に劉璝らが守備する雒城の救援部隊として派遣されました。
しかし、張任が捕らえられ卓膺が降伏すると、なおも抵抗しようとする劉璝を殺害、雒城を開城して降伏します。 この張翼、ただの武将ではありません。祖先に漢の三公を持つ名門の子供です。
孔明の死の少し前、南蛮の南中を治めていましたが、厳しすぎて劉冑という頭目の反乱を招いてしまいました。南蛮統治については、張嶷と比べられて、硬軟をつけた統治が下手だったといわれています。
しかし、将軍としての戦運び、兵糧準備などの仕事は、諸葛亮からも評価されていました。
http://www.sangokushikohan.com/?p=101
姜維の片腕として獅子奮迅
さて、演義後半。
三国志演義後半戦では第109回。 姜維は兵糧の豊かな南安という場所へ兵を繰り出しました。張翼は廖化とともに左右の先鋒を務めます。魏の先鋒はニューフェイスの徐質。
大斧を装備した徐質と一騎打ちをした相棒廖化はあっけなく逃走。
と、驚きを隠せない張翼でしたが、部下の手前もあり、槍をしごいて突進。徐質に斧を振り回され防戦一方。
「一撃一撃が重い…!徐晃の再来かっっ!?」
廖化同様、数合もせずに退却してしまいました。さすが張翼。こんな腕力だけの武将に構っているよりも、軍全体を勝利に導くのが大将としての勤め。仕切り直します。
姜維から計略を授けられ、張翼・廖化は伏兵。徐質をうまくおびき出し、散々に打ち破りました。
久々の大勝利後も姜維をきちんと諌める漢
第110回。
魏の大臣司馬師が死亡。姜維がこの虚を衝いて北伐の兵を起こします。
「(中略)中原を取り戻したく存じまする!」
「わが蜀は国土狭く、銭糧も豊かではなく、遠征は不利と存じます。むしろ分を守って要害を固め、軍民をいたわってやることこそ、国を保つ万全の計と存じますが」
「それは違う!(中略)丞相の御遺命(略)」
姜維は言うことを聞かないし、亡命してきた夏侯覇までイケイケどんどんなので、張翼も建設的な意見を出します。
「これまで勝つことができずに戻ったのは、いずれもわがほうの出陣が立ち遅れたからでござります。兵法にも『備えなきをを攻め、その不意に出ずる』とござりますが、これよりただちに兵を進めて、魏の者どもに備えるいとまを与えませねば、勝利は疑いございませぬ」
どうも、あまり心のこもっていない紋切り型な意見ですが、実際、本当にそうだったんだろうなと思ってしまいます。この時は、魏の王経が大将でした。
「狄道城へ攻め込むぞ~いっ!」
と姜維は酒宴を開いて諸将をねぎらいましたが、張翼は、姜維の暴走に拍車がかかる前に諌めます。
「将軍にはすでに大功をあげられ、御威名を天下に轟かせたのでござりますから、これでおやめになるがよろしゅうござりましょう。このうえ進んで、万が一不覚をとるようなことがあったら、蛇を描いて足を添えるようなことになりますぞ!」
「何をバカな!(中略)」
王経、陳泰のみならず、鄧艾までもが到着。姜維軍の手は全て鄧艾にお見通し。蜀は張嶷・鮑素を失い、全軍退却しました。
姜維が北伐するたびに、心配になるのが蜀の勝敗よりも彼の暴走振り。張翼の戦場での活躍も大事ですが、個人的には姜維に戦をやめるよう絡んでいる張翼諌言シーンが大好きですw。