張飛の孫張遵、黄権の子黄崇、李恢の甥李球 蜀に殉じる!

どうもっ! 諸葛菜です。

張遵(生年不詳―263年)

祖父:張飛 父:張苞 叔父:張紹

父、祖父と違い文官のようです。

黄崇(生年不詳―263年)

父:黄権

李球(生年不詳―263年)

叔父:李恢

263年、魏の鄧艾が陰平の険しい山を越え、蜀へ侵入。江油城を陥落せしめ、綿竹関に迫ります。諸葛瞻、諸葛尚に従い張遵、黄崇、李球は綿竹にこもります。諸葛父子の踏ん張りで、鄧艾軍を何度か退けますが、多勢に無勢。諸葛瞻も死に、子の諸葛尚が斬り込みを決意。

張遵が、

「若将軍、短気はなりませぬぞ!」

と血気にはやる諸葛尚を止めています。結局、聞き入られるわけもなく、死亡。張遵、黄崇、李球は力を合わせて鄧艾軍と戦いますが、大将を失った蜀軍はあっという間に破れ、3人は死亡。

李球はともかく、張飛の孫張遵、黄権の息子黄崇はもっと知恵を尽くしてほしかったなあ。綿竹関は成都を守る要所なので、守備側は丁寧かつ冷静に戦うべきでしたね。蜀末期の厭戦気分、蜀主劉禅の悪政による諦めモードが漂っていたことが、文脈から読み取れます。諸葛父子が討ち死にした後、自殺ともいえる突撃を慣行。

門を閉ざして固く守れば、呉の援軍も到着したのに・・・。

鄧艾軍の雑魚武将?師サンくらいは倒して欲しかった。