州泰 司馬懿に引き立てられ平民からのし上がった武将

どうも!

諸葛菜です。

名前だけ出てきた書きづらい武将の一人、州泰です! 魏は武将が多い分、こんな武将ばかりだぜい。 州泰(生年不詳-261年)

 演義での登場回第111回

諸葛誕と呉連合軍との戦いに狩り出されます。 「エン州の刺史州泰を右備えとし」と陳騫、石苞、王基と共に名を上げられたのみ。

第112回

州泰は石頭城に伏兵するよう命じられました。それから・・・出てきません(汗)。伏兵したまま出てこずということは、羅貫中先生に忘れられてしまったのか?

中国語サイトを探したけど、全然パッとしないし・・・

仕方がないのでウィキです。

かなりの苦労人だった州さん!

おー載っとる載っとるw!

平民出なんですな。 司馬懿の下へ使者として赴いたとき、司馬懿にその存在を認識され、孟達討伐の先導役を勤めました。

司馬懿から見込まれ、新城太守に大抜擢! 風の谷のナウシカのトルメキア軍参謀クロトワさん並みの大抜擢です。 すごいぜ、州泰! ただ、太守になってから苦労もしたようです。司馬懿から名門貴族たちの集まる宴席にも招待されました。

「うだつのあがらねぇ平民出にやっと巡ってきた幸運か、それとも破滅の罠か…?」

宴席で待っていたのは「King of The 小者」の貴族鐘会閣下。彼から中傷を受けたようです。 くっ・・・またこのへっぴり野郎か・・・チョコチョコ出てきやがるっ!

鐘会にいじめられてばかりいたわけではありません。州泰は名門出身の鐘会に対して、堂々と受け答えをしたようです。

とんちの効いたカウンターで鐘会をやり込めている姿が浮かびます。これには周囲の人々も感嘆。鐘会のことだから、グジグジと州泰の出生をバカにしたのかもしれませんね。 州郡を収める武将としても名が知られ、軍の統率にも才能があり、司馬師が政権を握ってからも出世しました。

戦場での活躍もありました。

258年の諸葛誕の反乱では、援軍として侵攻してきた朱異率いる呉軍を陽淵で迎え撃ち、大勝するという武功を挙げた。

259年、都督荊州諸軍事の職が二分割されると、州泰は荊州方面に復帰し、襄陽に鎮守する都督江南諸軍事に任命された(都督荊州諸軍事は王基)。仮節を与えられ、征慮将軍にまで昇進をした(『晋書』文帝紀)。

261年没。衛将軍を追贈され、壮侯という諡号を与えられた。

晋の建国を見ることはできませんでした。

魏の平民であったため、曹カンが廃されて晋となったことは複雑かもしれないけど、司馬家に取り立てられた彼にとっては晋の建国を見たかったでしょうね。

演義では出落ちでしたが、天寿を全うした「中の中」の武将州泰でした。

州泰お疲れさま

地味だった?それでいいのさ。 もっと小物が見てみたいと思ったら、ブログを覗いてみて!