歩璣(ホキ)、歩璿(ホセン) 歩隲(ホシツ)の孫、晋へ亡命

どうも!

諸葛菜です!

今回は歩璣(ホキ)・歩璿(ホセン)兄弟です。

歩璣(ホキ) 歩璿(ホセン) 父:歩協 叔父:歩闡

演義には登場しません。

父は歩協です。羅憲と戦った武将で、敗北します。 その1年後死亡。 歩璣(ホキ)は父の後を継ぎました。

平和?もつかの間、時代は暴君孫皓

意見具申して気に入らないと、旧臣だろうが忠臣だろうがお構いなしで撲殺する輩です。 叔父の歩闡(ホセン)が孫皓から中央へ来いと、お呼びがかかりました。 これに危機感を感じた歩闡(ホセン)は呉への反旗を翻します。単独では勝てないので、歩璣(ホキ)・歩璿(ホセン)を晋へ人質に出します。

歩闡(ホセン)は死に、呉に残った歩氏は皆殺しになってしまいましたが、歩璣(ホキ)・歩璿(ホセン)は洛陽にいたため難を免れました。 《三國志》〈巻52.歩闡(ホセン)〉では歩氏が全滅したとありますが、上記二人が生き残っているので、全滅したわけじゃあないですよね。